今日は特に日本の皆様向けにフォトライブラリーに新たに掲載となった写真群『フィリピンの光と陰』(http://www.photolibrary.jp/profile/artist_2666_12.html及び次のページ)のご案内です。
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ルソン島バタンガスからのフェリーから海越しにプエルトガレラを初めて見た時、椰子の木をはじめひしめき生い茂る葉という葉が、光の中で翻って揺れていました。最初それはあまりに光が強いために反射の頂点を通り超して翻ってしまっているように錯覚したのですが、よく見るとそれは風が吹いているからであり、もうこれ以上はないであろう反射を見せている葉の表側とともに、色の薄い裏側がちらりちらりとしかし大胆に曝されていたのです。それはスカートの裾が翻っているかのように、妙にエロチックでさえありました。
私はそうした自分の感慨に少なからぬショックを覚えたのでした。エロとは密室的な日陰もしくは湿った環境がもたらすものと、日本で生まれ育った人間として思い込んでいたし、白日のもと太陽があれほどまでエロスと関わりを持つとは思ってもいなかったのです。そして私は、ああ、これがフィリピンなのだと直観しました。
日本人の常識では理解できない「人間のあり方」がたくさんある。しかし、それでもなお魅力的なフィリピーノという人々。そのわからない、解けない「不可解さ」は、私が目の当たりにした太陽と風の作用にあると気づかされたのです。人間はそこに暮らす自然環境に否応なく左右され自ずと似て来ざるをえません。このうえもなく強い陽射しの下、これがフィリピンだと悟ってしまったというと、まるでそれがフィリピンの全てのようですがそれは違います。
熱帯で四季はありませんが、晴れた日が強烈なぶん曇った日は徹底的に曇りです。本当に風景が淡く見えまるで日本にいるかのように霞んで見えます。雨の日も同様。もう、ものすごい量の雨が降ります。が、それでいてカラッとしているのです。つまり、雨は降る時はザザザーッと降るが、それで終わり。プエルトガレラは、こうしたフィリピンの気候の特徴が特に顕著だと思われます。
要するに「中間」がないのです。「極端」から「極端」へ一気に移り変わるのがフィリピンの空模様だといえると思います。これを反映してそこに住むフィリピーノが「単純」なものを好む、と結論づけてしまうのは少し早計でしょうか? いずれにせよ、私がこの度まとめた写真群『フィリピンの光と陰』は、以上述べたようなフィリピンの風土を「眼に見えて」現れたものとして編集したものです。
思えば、『フィリピンの光と陰』を編集するまで、在りし日の日本の姿を追いフィリピンの写真を撮っていたと思います。フォトライブラリーに掲載されたそれらの写真の中にもフィリピンの本質を捉えているものはあるかと思いますが、意識して編集しなかった点で日本の延長線上にあるといえます。フォトライブラリーには、他にもフィリピンに来る以前の写真も並べられていますが、それらもいわば亡き祖国を追ったものです。
なお、『フィリピンの光と陰』(http://www.photolibrary.jp/profile/artist_2666_12.html及び次のページ)ではポジフィルムを使用しハイライト部分を描写することを狙いましたが、これに続く『プエルトガレラの光と陰』(私のウェブサイトhttp://www.ecoh.biz.lyの"PUERTO GALERA NOW"にて"Time on Puerto Galera"として公開)では、デジカメの特性を生かしハイライトが飛んでも「まぶしさ」が伝わる絵に挑戦しています。
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