銀川から甘粛省蘭州まで快客バスの旅 -大黄河をめぐる旅4 『中国公路管運里程地図冊』によると、銀川~蘭州はちょうど500㎞。 どこまで高速道路があるのかは不明。 すでに何度か旅行記で触れたが、中国の高速公路(高速道路)の建設スピードは速い。 計画目標を超えているところも何度か経験した。 しかし、突然高速公路が切れることもしばしば。 こればかりは、運を天に任せるしかない。 銀川を出発した快客バスは、すぐに高速公路にはいる。 高速公路は、乾燥砂漠地帯の中を快調に飛ばす。 とにかく、道路は真っ直ぐ荒野の中を・・・・。 とにかくずっと遠方まで何もないのだ。 何とも言えない感動的な景色。(表現力のないことにご容赦を) 通行量が少ないので、それでも時々トラックを追い越す時はスピードがおちるが。 何度かこれまで書いたが、中国のトラックは、旧式のものが多い。 そのトラックに荷物を満載して高速道路を走る。 そのトラックは、追い抜き車線を走っていても決して後続の車に道を譲らない。 これは現代中国らしい風景だ。 しかし、絶対交通量が少ないのでバスは、クラクションを鳴らしながらトラックの列を追い越していく。 2時間半を経過したところでバスはトイレ休憩。6時間あまりの行程のうち、トイレ休憩は、もう一回だけだった。 このサービスエリアもまだ建設中。 当分このままかと。 高速道路の建設スピードの速さが推し量れるだろう。 利用者にサービスを提供するという発想はまだここにはない。 仮設トイレだけが、形ばかりに。 しかし、バス交通は、高速道路の建設にあわせて、路線を拡大していく。 料金も鉄道に比べ高く設定できる。 山東から始まったという高速バスのサービス競争は、福建の高速でも経験した。内陸の、この地域にも早くも広がっている。 例のミネラルウオーターサービスだ。 一人の女性が桃を売りに来る。 小粒の桃。 それを買う中国人もいれば触ってみて一言二言言って買わない客もいる。 また、桃の籠のあるところまで行ってやりとりしている人もいる。 そんな彼らの様子をしばらく眺めていた。 快客バスは時々インターを料金を払って外へ出る。 そこで、乗客を降ろし、そして新しい乗客を乗せる。 客はバイタクやタクシーでインターまでこなければならない。 そして、再びバスは、インター入り口から高速道路へ戻る。 ところが、3時間を過ぎてバスは、インターを出たまま高速へは戻らなかった。 振り返ってよく見ると高速道路はこの先は工事中でここまでだったのだ。 高速公路がすでに開通している蘭州の手前の白銀市まで、国道109号線を ひたすらバスは走った。 しかし、この間の道路周辺の風景が今でも忘れられない。 「寧夏回族自治区」「回族 回 huí 人口 人口約860万人。 唐の時代に移住したアラビア人、ペルシア人が源流。 http://www.allchinainfo.com/ethnic/hui.html」『中国まるごと百科事典』から引用。 (サイト内の文章などを引用・利用された場合は、情報ソースとして『中国まるごと百科事典』の名前とURL:http://www.allchinainfo.com/ をお入れ下さい。) 国道は普通の農村地帯の中を突き抜けて行く。 灌漑によって出来た村々。 バスは時々、スピードを落としてクラクションを鳴らす。 追い越すのは、決まってスピードの遅いトラックターだ。 運転は、男。 決まって荷台には女性。 赤銅色に焼けた肌だが、それなりに女性は美しい。 回族の人たちだ。 あちこちで市が開かれている。 快客バスと一クラスうえのバス乗客。 明らかに、ギャップがあるのだが、そこには回族の人たちの生活の場があった。
再び広大な黄土高原の姿に驚く -大黄河をめぐる旅5 寧夏回族自治区まで乾燥砂漠だった景色が、甘粛省にはいると突然、これまたはじめてみる景色に変わったのだ。 これまた、表現が出来ない景色。 なだらかな山のような起伏が突然現れてくる。 それが前方に延々続くのだ。 写真にとってもその臨場感は出ないと思う。 それが実は蘭州まで続く黄土高原の西端だった。 それはすごい景色。(笑) みなさんは、黄土緑化計画というのを聞いたことがあるだろうか。 毎年、春になると偏西風に乗ってやってくる黄砂、黄河の色を決める黄土、これの流出防止策だ。 いつはじまったかはさだかではない。 目の前には、黄土高原の草木のないはずの黄土が広がっているのだが、延々とその表面に緑の筋が着いているのだ。 それも遙か彼方まで。 よく見ると、黄土の斜面に平行に人が歩けるほどの道が無数に造られ、それに沿って緑の草がわずかだが生えているのだ。 その緑の強弱は場所によって異なるのだが。その風景が、黄土高原の南の端にある蘭州に着くまで延々と続いたのには参った。 全て人海戦術による結果に他ならない。 この黄土緑化が実現するのは不思議と可能なような気がしたが、その実現までにどれくらいの年月がかかるのかは想像が出来なかった。 快客バスも黄土地帯にはいると、道路の周囲の人々の姿も変化をはじめた。 黄土地帯は乾燥地であるにかかわらず、始皇帝の秦の時代から人々が住み続けてきた歴史がある。 そんな変化を感じた。 白銀の町からは再び蘭州までの高速道路にバスは入った。 そして、黄河を渡るとそこは蘭州の町だった。 バスは、蘭州汽車東站に到着した。 正確な時間は、覚えていないが、午後になっていた。 ついに、中国5日目にして到達した蘭州。 さて、これからどうするのか。 それは、まず、次の鉄路の切符を買うことだった。 そのためには、蘭州火車站 を探さなければならない。
甘粛省蘭州はにぎやかな、しかしのんびりした街 -大黄河をめぐる旅6 中国旅行で困るのは、地方の長途汽車站がどこにあるのか、バスがどこに着くのかは、外国人旅行者にとっては、わかりにくいし、見つけにくいのである。 火車站 と汽車站が隣接していればいいのだが、そういう例は少ない。 そこで、みなみやまが取った行動は、外に出ると刀利の向こうに学校があり、中学生がたくさん下校してきている。 彼らに、声をかけた。 女の子たちがきゃーきゃーとにぎやかだ。 ちなみに、中国の中学校には制服はない。 私服だが、背中にはみんな同じようにデイバックを背負っている。 しかしこれは失敗だった。 彼女たちが教えてくれた方向は、実は、火車站とは反対の方であった。 しかし、それもあながち間違いではなかったが。 しばらく歩くと、どうも街の繁華街のような交差点に出た。 交差点を渡って、来るバスを見ると火車站 の表示。 思い切って、バスに乗ってみる。 「多少銭?」というと、「イークァイ!(1元)」。 しっかり、小銭は用意してある。 バスはしばらく走ると、火車站 前に着き、大きく左折したので、バスを降りた。 蘭州火車站 は、黄土の丘を背景にしてすっきりとその建物を見せていた。 とりあえず、售票処に行く。 電光掲示板を見ると青島の文字が。 今日は、長旅が続いたので蘭州に1泊する決意でいた。 さっそく、一般の售票処に並ぶ。 明天、青島、硬臥、 or済南と走り書きのメモ。 順番が来た。 メモを見せると「没有!」。 「インズオ?」「没有!」 「済南」というと、反応が変わった。 どうも切符があるようだ。 「多少銭?」「・・・・・」 とりあえず、200元渡す。 切符とお釣りが帰ってきた。 チケットゲットである。 ゆっくり、チケットの日付をまず確認。 「8月15日」明日だ。 13:19開 蘭州→済南 K174次 122.00元 硬座快速 明日の午後の列車だ。 これで、韓国に帰る見通しが着いたのだ。 先にも書いたように、今回はチケットは售票処がダメなら、旅行社で購入することに決めていた。 直通がなくても、とりあえず便の多い西安まで行きそれから次の手を考えるつもりだった。 しかし、今回は全て、售票処で購入できた。満足。 それでも、後で考えると大変な事態が待っていたのだ。(笑)
蘭州大廈はシングル98元 -大黄河をめぐる旅5 火車站 前で最初に目についたもの。 それは靴磨きの女性たちの姿。 ほっとする。 今回は、夏にもかかわらず、革靴を履いてきた。 それにはある思いがあったのだ。 その思いとは。 さて、これからホテルを探すのだ。 火車站 前に蘭州大廈があり華連賓館があるとガイドブックにあった。 とりあえず行ってみる。 明るいロビー、きれいなフロント。 感じがいい。 またまた、欧米人旅行客のニオイが。それも、少し質の上の・・・。 「ファンゼンマ?」 「有」 「単人房(シングル)」を希望。 98元だという。ウソ!!という気分。 「押金?」と聞くと、「200元」。 そうか、98元(約1400円)払ってさらに200元「オージン」を払うのか、と思い300元を出す。 すると200元でいいと。 フロントの女の子に笑われてしまった。 200元渡して、明日、102元返してくれるそうだ。 まだ疑っているみなみやま。 それでも、例の伝票をもらって8階へ。 エレベーターを降りると薄暗いロビーで係の服務員が待っている。 伝票を渡して、薄暗い廊下を歩いて部屋に行く。 カードキーで部屋を空けて中にはいる。 とてもきれいな部屋。窓も大きく明るい。 つい、いつもの癖で浴室を見るときれいだ。 バスタブもある。お湯も出る。 シャンプーや歯ブラシのアメニティもバスタオルもそろっている。 大満足。大満足。 あとは、明日、押金を全額返してもらえるかだ。 安い宿泊料金にまだ疑っているのだった。(笑) 大同から銀川経由で蘭州まで1400㎞の旅。 24時間で、日本列島を縦断しているのだ。 ここは中国。 まず、風呂に入って洗濯をすることに決めていた。 今日はゆっくり休もう。