ホル・ヴィラップ修道院&ノラヴァンク修道院①

エレヴァンからの一日ツアーに参加し、ホル・ヴィラップ、ノラヴァンクの2つの修道院を見に行った。

エレヴァンから南へ向かうコースで、ツアー参加者はイタリア人、アメリカ人、フランス人、アルメニア人と様々な人種が参加している。

エレヴァンから車で1時間ちょっと。

アララト山が目の前に迫る、小高い丘の上にホル・ヴィラップ修道院がある。

この日は(この日だけは)本当に運がよかった。
アルメニア滞在中、ほとんど雲に隠れていたアララト山がこの日だけ雲が晴れていて、大小のアララト山がしっかりと見えた。

ちなみにアララト山を見るのは、夏が一番晴れる確率が高いそうだ。
ホル・ヴィラップ修道院とバックにそびえる雪化粧したアララト山。

ここでは世界屈指の美しい風景を見ることが出来る。


修道院からアララト山までは40キロほどしか離れておらず、歩いていけるのではないかとも思ったくらい、近くにある。

アララト山は国章にもなっているくらい、アルメニアのシンボル的存在。
ガイドは「現在はトルコ領」ということを強調しているように、心なしか聞こえた。

日本で言えば、富士山だけを日本人が最も嫌う国の領土にされてしまったようなものか。


修道院入り口付近では鳩を売っていた。
ガイドに「食べるんですか?」と聞いたら笑って否定される。

「修道院で鳩を離し、鳩と修道院の写真を撮るのです」

とのこと。

食べる、ってそんなに変かな?いや、僕は鳩食べられないけど。

紀元6世紀、キリスト教以前にアルメニアで信仰されていた異教の神殿を取り壊し、その上に建てられた修道院で、現在見られる建築は17世紀の建築であり、アルメニア正教総本山のエチミアジンに次ぐ、正教の聖地なのだそうだ。

ガイドの説明を僕の渾身の英語力で訳すと、どうやらこういうことらしい。

「昔、聖ゲリゴールというキリスト教の聖人が、アルメニアの王によって地下牢に13年閉じ込められました。食事等は一切与えられませんでしたが、13年後、王の娘が病気になり王は嘆き悲しみました。そんな折王は神のお告げを夢で見たのです。」

「ゲリゴールを解放しなさい。キリスト教を信じなさい、と」

「王は急いでゲリゴールを地下牢から解放しました。13年間食事を与えられていなかったにもかかわらず、彼は生きていました。この為彼は聖人として崇められ、王もキリスト教を国教としたのです。以降王の娘の病気は治りました。」

「実は信仰心の厚い老女が13年間、毎日地下牢に水とパンを投げ込んでいたのです。だからゲリゴールは生きていたんですね。」


で、この修道院にはその地下牢が教会脇の礼拝堂地下に残されています。

しかし、この日はアルメニアの小学生たちの遠足ツアーとかち合ってしまう。2つある地下室のうち、伝承の地下牢のほうは数十人の子供たちで埋め尽くされる。

結局、この嵐のような小学生たちの群れはなくなることはなく、内部見学はできなかった。

ガイドによれば、中には特に何もないそうだ。


修道院の中心に立つ聖アストヴァツァツィン教会前では、修道士たちが
大勢の観光客の前で聖歌を披露し、拍手喝采を浴びていた。

どことなく、ロシア正教の聖歌とも西洋カトリックの聖歌とも違う、不思議な音階だ。


外部は入り口上部の鐘楼一つ、中心部の尖塔一つの典型的な、かつごく普通のアルメニア教会。
多くのアルメニア教会は、独特の赤茶色の方形の石積みによって建てられており、アルメニア正教の十字架、ハチュカルが石に浮き彫りにされた独自の外観は非常に見ごたえがあるのだが、総じて内部は物足りない。


僕個人の感想で申し訳ないが、ここに限らずほとんどの教会の内部にあるのはハチュカル、あまり年代を感じさせない祭壇画、わずかに施された浮き彫り、昔の司祭たちの墓くらいで、壁画もほとんど存在せず暗くて地味だった。

内部見学していると、別のツアーのガイドがツアー客に配っていたチョコレートを、なぜか僕にくれた。

なんでだろう?

そもそも「修道院内部でチョコ」の意味がわからなかった。


修道院から雄大な姿を見せるアララト山を眺めつつ、僕たちのツアーは
次なる目的地、ノラヴァンク修道院へと向かった。

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