遺跡には足のない若者がたくさんいましたよ。それが一番記憶に残ってます。 1994年は、日本の外務省が危険情報を出していたんじゃないでしょうか。 ですから、シェムリアップで見かけた日本人は、 僕たちを除いては、 自称「ボランティアツアー」の一行でした。 彼らは、マイクロバスに日の丸立ててましたよ(笑)。 遺跡に行くと、足のない若者、子供がたくさん声をかけてきました。 アンコールワットは、全く人影がなくて、 僕は1人で最上階まで登りました。 そういう記憶があるので、 僕はそのあと2回、アンコールワットへ行きましたが、 登ろうとは思いません。 最初の記憶が一番大切ですからね。 みどりのくつした
懐かしい 私もみどさんと同じくらいの時期だと思いますがいきました。そのときはまだポト派が時々でる湖を船で行くと10ドル、飛行機で行くと50ドル、さああなたはどっちにする?という時期でした。まだ学生だったので勿論安い船で行きましたが、結局海賊はでませんでしたけどね。 プノンペンで泊まったキャピトルホテルのそばに日本人旅行者のアイドル?ミポリンもいましたね。まだいるんでしょうか(笑)? シェムリアップのゲストハウスも当時は番地で呼ばれてました。そのとき同じゲストハウスに泊まった日本人とカブをレンタルして遺跡内を廻りました。正面から行くと入場料を取られるので、回り道だけど横からタダで入りました(もう時効ですよね(笑)。 私も印象に残っているのは アンコールワット、 アンコールトム(バイヨン) タプローム バンテェアスレイ です。バンテェアスレイはまだ周辺にポト派がでる+地雷が埋まっているためツアーを組んで警官が一緒について来てたと思います。周りは赤いドクロマークの警告がでてました。地雷もそこで地雷処理をしている人が見せてくれました。爆破もしてました。 それからアンコールワットにはいってませんが、栄えているみたいなのでまたそのうちいってみようかなと思っています。
チェンラは「360」と、番地で呼んでましたね(笑)。 いなかっぺさん、どーも。 >>そのときはまだポト派が時々でる湖を船で行くと10ドル、飛行機で行くと50ドル、さああなたはどっちにする?という時期でした。まだ学生だったので勿論安い船で行きましたが、結局海賊はでませんでしたけどね。 僕は「Lonely Planet」を持って行ったので、 それに、「ボートは陸から銃撃を受ける」とあったんじゃなかったかな。 時間もなかったので、 プノンペンからシェムリアップへは、 往復飛行機で行きました。 カンプチアエアで往復90ドルでした。 あのころはチェンラも平屋建てで、 番地の「360」と呼んでましたね。 それから、みぽりんの話ですね。 http://tabi.yumenogotoshi.com/kakeashi/kake19.htm >>その時、「中山美穂を見て来ましたよ、西本さん」と声がした。 >>見ると、バンダナ君だ。 この話は、プノンペンでベトナムのビザを取るところまで書いて、 放ってあります。 タイ・カンボジア・ベトナム駆け足旅行記(1994) http://tabi.yumenogotoshi.com/kakeashi/kakelist.htm いつかは1994年のシェムリアップについても書かなければならないと思ってるんですけどねー。 遺跡としては昔の方がよかったですよ。 いまはとにかく人が多すぎますからね。 みどりのくつした