情報とご指摘ありがとうございます PP&M さま 毎度ありがとうございます。 真偽に関わらず、壁の一部を販売する店があるのですね。それは壁の博物館などの公共の施設の土産販売箇所でしょうか。 また、持ち帰れるかの件についてですが、 さすがに公共の展示施設のものは犯罪行為ですが、その他で管理されていない、野ざらし状態のものなら少々失敬してもという考えでお尋ねしました。 ご指摘ありがとうございました。
壁のかけら(売り物) 壁のかけらは、Checkpoint Charlieやブランデンブルク門あたりの土産物や露天商が売っていたと思います。かけらが入った薄型のカプセルがついた絵ハガキも市内の土産物屋で売っていたと思います。 壁はもうほとんど撤去されて2箇所しか残っていません。一ヶ所はご自分で書いておられるNiederkirchner Straßeにある旧秘密警察(ゲシュタポ)本部跡、テロのトポグラフィーの敷地境界です。もう1箇所は別の方が紹介していらっしゃる壁のDokumentationszentrumのあるBernauer Straßeの壁で、センターに近い側は壁崩壊騒動のおりに削られたままの姿をさらしていますが、Ackerstraßeとの交差点に近い側は傷跡が修復され、内も外も1989年11月以前の姿に復元されています。 いわゆるイーストギャラリーとしてシュプレー川沿にイラストが描きこまれた壁が立っていますが、これは壁には違いありませんが、東西管理地区(Sektor)境界線上に立つ壁ではなく、Hinterlandmauerという、ソビエト占領地区(東ベルリン)の内側に並行して立てたられた壁です。本来の境界はシュプレー川の西岸なので、川に飛び込んでも対岸(アメリカ占領地区)にたどり着く前に捕まるか射殺される例がほとんどだったそうです。 テロのトポグラフィーにいらっしゃるのでしたら、斜め向かいのベルリン市議会と壁をはさんで向かいの連邦経済省の建物もご覧になるとよろしいかと思います。市議会は元はプロイセンの州議会場で、1918年の大晦日にドイツ共産党の設立が決められた場所でもあります。平日の昼間でしたら中に入れますし、お昼過ぎならば中の食堂を利用することもできます。 連邦経済省はゲーリングの空軍省として建てられ、戦後はドイツ経済管理委員会(のちのドイツ民主共和国政府の前身)を経てドイツ民主共和国建国後はいくつかの省庁の合同庁舎(Haus der Ministerien)として用いられました。労働ノルマ引上げに反対して労働者が蜂起した1953年6月17日事件では、政府と社会主義統一党(SED、共産党)に抗議する労働者や市民に包囲され、出動したソビエトの戦車がそのデモ参加者に発砲するという事件があり、いまでも建物正面の壁にその時の写真が掲示されています。 長くなりそうなので、続きはまた後で書きます。
ありがとうございます 詳細な情報ありがとうございます。後ほど熟読致します。まずは取り急ぎ御礼申し上げます。