私の経験 私は一桁生まれの端くれですから今となっては貴重な体験をして懐かしいです。 昭和20年敗色が濃厚となり、陸軍戦闘機乗りのいとこの話では日本の飛行機は本土決戦に備えて山奥へ疎開してしまい、米軍機は自由に飛び回っていました。 私はそばの操車場にある機関車を狙って超低空で急降下してきた鹿島沖の航空母艦から飛び立った米海軍F6Fヘルキャット艦上戦闘機からの機銃掃射をこわごわと防空壕から顔を出して見上げました。 操縦士の体がはっきり頭に焼き付いています。薬きょうが防空壕のそばにいっぱい落ちていて今考えると記念に拾っておけばと思いますが、その時は絶対に拾うなといわれ惜しいことをしたと思っています。 その機関士はタンクから水が噴出している機関車の下に隠れて命は助かりました。同級生の姉が足に弾が当たり怪我をしました。 はじめのうちはB29が1万メートルの上空から爆弾や焼夷弾を投下していましたが、だんだんずうずうしくなり低空まで降りてきました。 いとこの乗った戦闘機は8000メートルまで行くのがやっとだったそうです。 F6FのほかにはB24、B29、P38、P51は実際に見た事があります。 終戦直後に米軍機が学校の近くにあった修道院の外人向けに落下傘で食料品を投下しました。それを狙って拾いに行ったことがあります。 一番最初に覚えた英語の一つがギブミーチョコレートです。あの時のコンビーフの味が忘れられません。 日清日露戦役の話を年寄りから聞いた私が戦争の話をする歳になってしまいました。今日本人がハワイやグアムを平和的に占領したと思えば戦争よりははるかに楽しいです。 また旅順要塞も反日中国がよく保存して日本人を歓迎しています。中国人にすれば乃木大将も商売の種です。 よく壊さずに見せているとそれは感心しています。
薬きょう まだ観光客などいなかった復帰前の沖縄に 行ったとき、万座毛の崖を降りたら岩場に たくさんの「薬きょう」が落ちてました。 それを見て一抹の凄さを想像したものです。 その恐ろしい「薬きょう」、趣味とはいえ いま自分がそれを手にしているとは・・・ でも私は殺生が嫌い、もっぱら射撃場だけの 話です。