別に他愛もないことなので、お暇つぶしにどうぞ。
旅に限らず、人生全て、
「他人に迷惑かけない限り、その人の好きにすれば良い」
とは思ってるんですが、
旅行をしていると、この類のことを、ふと考えます…
あまり準備しないで出国してきたことを、
誇らしげに語る人がいますよね。
言葉もボディランゲージで十分とか。
でも、準備や下調べはしていったほうが良いし、
できることなら、極力言葉も勉強したほうが良い。
ハプニングやトラブル、驚くような体験は、
その旅行スタイルが、
お金をかけようが、入念に準備をしようが、
個人旅行じゃなくツアー参加だろうが、必ず起こります。
なぜか「それしきの事=旅の楽しさの最低限のライン」を
旅の醍醐味と捉え、
とても浅い次元で旅をしている人が増えた気がする…
気のせいなのか…歳をとったのか…思い上がっているのか…
言葉はホントに、極力分かったほうが良いと思う。
旅の楽しさがまるで違う。
長期旅行は節約しなくちゃいけないから、
安い食事ばかりになるのは当然だ。
でも、その状態に価値を感じるのはどうなのだろう?
外国人パッカーが日本に来て、
「日本は高いって言うけど、俺は旅慣れてるから、
食費は全然かからないよ!日本の食べ物は美味しいね!」と
コンビニ飯や、吉牛、松屋ばっかり食べていたら、
それはとても残念なことだとも思う…
これだけ食文化の多彩な日本で。
長期旅行で節約が必要だとしても、
初めから予算として組み込んでおけば、何も問題は無い。
バスで24時間かけて次の町へ向かうなんてことは
旅をしていれば普通に起こることだろう。
大抵の場合、バスで丸1日かかる場所は、飛行機だと1時間~2時間だ。
もちろん値段は10倍違う。
だから、長期旅行では自然とバスになる。それは仕方ない。
でも、そこに価値を感じるのはどうなのだろう?
そういう体験は、空路が無いときに、勝手にしてしまうものだ。
なら、空路がある場合は、金が10倍かかったとしても、
それが選択肢の1つになってしかるべきだ。
時間も体力も、10分の1で済むのだから。
もちろん、どちらでも良い。
しかし、空路の選択を馬鹿にして、陸路に誇りを感じる。
そんな人が増えた気がする。
旅のテーマは人それぞれ。
だから、最終的には自由で良いんだけど、
でも、お金をかけた旅が出来る人は、貧乏旅行はいつでもできる。
貧乏旅行しか出来ない人は、お金をかけた旅の魅力は分からない。
また、言葉が分かる人は、分からない人に比べ、
より多く、深く、その国を味わうことができる。
準備をする・しない、もそうだ。
「入念な準備をした上で起こるハプニング」は、
「準備不足によるハプニング」とは、深さが違う。
旅の目的の一つが、自分が知らない世界を味わうことであるとすれば、
やはり、低い次元に囚われるべきではないと思う。
しかし、時に、そうした次元で旅をしている人達に会う。
例えば、彼らの多くは、
「ツアー客」というものを馬鹿にしているようだ。
個人旅行じゃないというだけで。
なぜ、彼らは低い次元で満足してしまうのか。
高いお金を払って、膨大な時間を使っているのに。
それは、極めて月並みな言い方だが、
「旅している自分に酔っている」からではないか。
自分がすごいことをしている気になっているから、
他者を馬鹿にしたり、
そのすごいという思いが否定されないように壁を作ったり。
でも、旅なんて誰でも出来る。
「自分がしたいことをしているだけ」
「自分ができることをしているだけ」
この2点において、
中学生がカラオケに行くのと変わらないし、
幼稚園児が鬼ごっこするのと変わらない。
旅は、ただの贅沢な遊びだ。
ただの遊びなのだから、
なおのこと、その人の自由にすればよいとも思う。
しかし、あまりに腐臭を感じてしまう場面が
確かにある。
どれだけ「旅」と言い張ったところで、
僕らが行く場所のほとんどは「世界的観光地」だ。
ツアーで行こうが個人で行こうが、
それは「観光旅行」にすぎない。
アマゾンのジャングルだろうが、
インドのカオスだろうが、
ラオスで田園に浸ろうが、
タイムズスクエアでビールを飲もうが、
楽しい楽しい観光旅行。
その意識があれば、
自分を過大評価せず、常に謙虚でいられる。
すると全てが、ありのまま自分に入ってきて、
逆に、旅の魅力を最大限に味わう事が出来る。
ぜひ、誰しもが、そうあって欲しいと思う。
旅を初めて十数年。
ふと、こんな愚痴を吐露したくなりました。
偉そうな内容で申し訳ありません。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。