「プラハの春」 うききさんこんばんは~~~ さすけねえは、プラハは年末年始の休みに行ったのですが、ヨーロッパは一般的に夏がいいです。 それは緯度が高くて、「いつまでも夕方」からなのです。 逆に冬は、お昼のすぐに夕方になって夜になるからです。 東欧は春に行ったらさぞかし綺麗なのでしょうネ~「プラハの春」といいますから。 プラハは、例の戦車が攻めてきた「何とか通り」突き当たりの博物館がエジプトのミイラからさまざまな展示物良かったです。 向かって左手前のマクドナルドでハンバーガー食べましたが、その数年後ニュースでそこがTVにデカデカ写って家中大変でした。 成功を祈る!
えーっ あの国立博物館、面白かったですか??? ひたすら鉱石が並んでいたような。。。 (見落としていたところがあったかも) ちなみに、大学で結晶材料を専攻した私は、面白かったです。 トピック主さん、良いご旅行を!
ビートたけしの大好きなコマネチ なぜか、コマネチの展示コーナーも(あれ?~ちゃふらふすかだったかな~~~)?
Re: 「プラハの春」←それは違う >東欧は春に行ったらさぞかし綺麗なのでしょうネ~「プラハの春」といいますから。 あなたのお歳でそんなことを書くとは... 「プラハの春」という言葉が口にされた1968年と言えばあなたはもう中学生か高校生ではなかったですか? ご存知ないはずはないでしょ、この言葉にどう言う意味、どう言う思い、願望、希望が込められているか? 1948年のクーデターで共産党が他のいわゆるブルジョワ政党を政権から排除、独裁政権を確立して以来職場や近隣社会を厳しく監視、統制していた体制が、ドブチェクらリベラル改革派の登場によってノボトニーが退陣して以降急速に緩和され、マスメディアの検閲、統制も緩和、撤廃された、その社会、政治体制の自由化を「プラハの春」と形容するのです。 インターネットで検索すればすぐにわかりやすい説明が出てきます。勉強してください。
Re: Re: 「プラハの春」←それは違う >>東欧は春に行ったらさぞかし綺麗なのでしょうネ~「プラハの春」といいますから。 最初にこれを読んだ時、正直言って意味が全く理解できませんでした!どうしてこういう発想になるのだろうとしばらく考えてみて、もしかすると「北国の春」に由来するのかな?と思い当たったら妙に納得してしまいました。 それはさておき、「人間の顔をした社会主義」というのがこの体制変換におけるスローガンです。現在は西側とほとんど変わらないように見えるプラハの街並みですが、当時の現状がいかに厳しいものであったかを察することができると思います。この政変後に失脚し、ビロード革命後に名誉復権を果たし、ビロード離婚前に急死したスロヴァキア人のドプチェク氏はまさに波乱万丈の人生でした。この辺り社会主義時代からの変遷にもし興味があれば、共産主義博物館はお薦めです。地下鉄MUSTEK駅のそばです。
安芸の宮島は秋に行くのがいいです…と同じです。 PP&Mさん、相変わらずですな~~~、文章能力が中学生以下ですね(笑)。 「プラハは、例の戦車が攻めてきた「何とか通り」突き当たりの博物館がエジプトのミイラからさまざまな展示物良かったです。」 この文章を見たらぴんと来なくちゃ~~~。 プラハの春も、歴史のいろはは知っています。 歯は抜けても色は残っています、なんちゃって(笑)昔の小唄。 成功を祈る!
Re: 「プラハの春」 こんにちは。書き込みありがとうございます。 これからもよろしくお願いいたします。 >例の戦車が攻めてきた「何とか通り」突き当たりの博物館 え~、例のってソ連軍ですか。近現代史には疎くって、これから勉強します。 手元にあるガイドブックから推理?すると「国立博物館」のことでしょうか。 マクドナルドも変わらずそこにあるようです。 …書き終わってもう一度ガイドブックを読み直したら、わかりました。 1968年、ワルシャワ条約機構軍による「プラハの春」弾圧の際にヴァーツラフ広場に戦車が入ったのですね。 >成功を祈る! 絶対成功させたいです。ありがとうございます。
プラハの春・・・ うききさん ワルシャワ条約機構軍と名乗ってバーツラフ広場に侵攻した戦車によって、後戻りを余儀なくされた政治体制を悼んでプラハの人々はこの広場一面にロウソクをともしたのだとか・・。 それを報じるマスコミ報道に対抗して 時の政府はあわてて長い塀でか請いこまざるを得なかった・・・んだとか。 昔話です。