こんばんは。こちらで、時々お世話になっております。 先日、ルアンパバーン旅行(個人旅行)から帰ってきました。 托鉢を見て、気になったことがあったので教えていだだけたら と思います。 肩から掛けている入れ物が一杯になると、ごみ箱らしき入れ物に お菓子など捨てているように見えましたが実際のところどうなのでしょうか? 後から、誰かが寺院に届けているのでしょうか? ちょっと、気になったものですから・・・。 よろしくお願いします。
托鉢について こんばんは。 よく考えてみたら、捨てることはないですよね。 皆様の回答を拝見し、どういうルートを辿るとしても、 無駄になってないということですよね。 托鉢を見て自分も含め観光客が多く「イベント化してるな~」 と思う反面、少しでも町が観光によって潤えばこれでも いいじゃないかな~とも感じましたね。 皆様、ありがとうございました。
こんな記事を見つけました 社会派ブロガー、ちきりんさんの記事です。 「ルアンパバーンの托鉢に見る伝統と変化」 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20160302 これによると、カゴに移したお菓子は近所の人たちで分ける、 またお寺に持ち帰った托鉢の残りは貧しい人々に配られるそうです。 私がルアンパバーンを訪れた10数年前は、たしか毎朝5:30から 托鉢があったように記憶していますが、今は違うんですね。 観光客もずいぶん増えているのでしょうね。
捨ててはいないと思いますよ はじめまして 全てでは無いと思いますが、捨てるのではなく転売しています。 流れ的には以下のようになります。 お供えグッズ買う→坊主か練り歩きお供えする→満タンになる→回収ボックスに入れる→回収ボックスから使える物を選別→お供えグッズとして転売→お供えグッズ買う・・・無限ループ こんな感じです。全てがこれではありませんが、観光客多いところは多かれ少なかれこんな感じです。 また、あの辺りの仏教徒は転売された物だろうが、『お供えする=良い事したから良い事ある』と思っている傾向があります。実際に転売されている事を知りつつも、購入してお供えする人もいるでしょう。 私は以前タイに住んでいましたが、タイのホームレスはホームレス業者が管理しています。タイ人含めカンボジアやラオスなど貧しい人を集めて、トラックの荷台に乗せて1人ずつ降ろして行きます。赤ちゃん抱いたホームレスいますが、かなりの確率で親子ではありません。 恵んでもらった小銭は、業者が一括回収してホームレスたちに食事の保障をしています。あまった分は業者が回収しています。 こんな事情を知りつつもタイ人は、タンブン(寄付など含め得を積むこと)してしまいます。東南アジアの仏教国は、『タンブン=得を積む=良い事をする』事を繰り返していれば、自分が幸せになれる。良い事が起こると信じています。 その為、転売された物であろうとホームレス業者であろうと、関係無くなってします事があります。
供え物 数年前ですがプーシーホテル(現在名は不明)の南側のお寺に午前中10時ごろ訪れたことがありました。小さなお堂の中で10人ほどの村人が床に座って食事をしていました。おそらく空腹に耐えかねた人なのか常連の人かわかりませんが、托鉢のお供え物の行く先を見たような気がしました。仏に物を供える事は、結局は供える人の自己満足なのでしょう。
ルアンパバーンの托鉢 サッカリン通りの学校前あたりが寺町の風情があり、特に乾季の早朝、朝霧の中をオレンジ色の僧衣をまとったお坊さんの列があとからあとから続いてくるのは旅情あふれる光景です。 道路端の托鉢の人に交じっている男の子たちが活躍するのですが、僧侶の持つ鉢が一杯になると箱のようなものに中身を入れてもらい、それを集めて後でお寺に届けるようになっているのだと思います。 子どもたちが横取りするのでも、捨ててしまうわけでもありません。 おこわ(カオニャオ)とそのほかの副食やらなにやらとどのように混ざらないようにしているのか、それとも混ざってしまうのか、わたしには仕組みがよくわかりません。どなたかお寺で修行したことがある人に教えてもらいたいところです。
町内の寺院の学僧の世話をする住民 毎朝の托鉢の行とは別に、女の人たちが町内の寺院で食事の準備をしています。 これはお寺によっても違いがあるかもしれませんが、やはり毎朝の無償の奉仕活動です。 一円でも安く旅行しようという海外から来る旅行者と毎朝食事を作って無償で学僧に奉仕する貧しいラオスの人々と、どちらがゆとりがあるのでしょう。 比較しても仕方ないことですが、金銭的な収入の物差しでだけ豊かさを測るのは間違っているのでしょうね。