Re^3: うまく言えませんが。PART4 ただ少しだけ彼らの弁解をさせてください。 私が生まれ育った昭和30年~40年頃は、まだまだ隣近所で声を掛け合っていました。少なくても私が育った東京の街では。 名前も知らないような小父さん小母さんでも、通学途中には「おはよう。ちゃんと勉強してくんだよ。」と声を掛けられたものです。 学校の帰りに親に隠れて買い喰いすると、家に帰るとおふくろが既に知っていて怒られる。 町内の情報網は凄かった。 今は? 今では隣に住んでいても挨拶もない。 私はマンションに住んでいるのですが、隣人と外で会っても顔も分からない生活をしています。 そのような中で、互いに名前も知らないのに「飯喰ったか?」「何処行くんんだ?」と声をかけてくれるタイは心地よいのだと思います。 もう1つは、今の日本に魅力が無さ過ぎるのかな? 一生懸命勉強して、一流の大学、一流の会社に入り、休まず働いていた親父が目の前でリストラされている。 勉強するにも、就職するにも、「これで良いのか?」と若い連中には疑念が涌いてくると思います。 今の時代も、今の人間関係も、あまりに無機質ですよね。 ところがカオサンのような処に行けば、同じような者の集合体ですから居心地は良いわけです。 まして、そこに居るタイ人たちは「飯喰ったか?」「何処行くんだ?」と気楽に声をかけてくれる。 それが潤滑油になって知らない者同士も声を掛け合うようになる。 あと少しだけお付き合いください。
Re^4: うまく言えませんが。PART5 もう1つ重要な要素は地理的問題です。 東アジア・東南アジアで見てみると、様々な条件がタイには揃っているわけです。 馴れ馴れしいくらいに外面の良い国民性。比較的宗教による制限が無いこと。国策による外国人への抑圧が少ないこと。航空網・交通網の発達度合い。年間を通しての気候(気温)の変化が少ないこと。ソフト・ハード面の双方に見ての物価格差が大きいこと。 これだけの条件が揃えば、日本だけじゃなく大概の国から人は集まります。 私、タイで暮らしてから、人間にとって、住むのにあたって「都合の良い場所」と「居心地の良い場所」は違うと感じるようになりました。 文章力が無いので上手く表現できません。 長いこと色々書いて申し訳ありませんでした。