06/02/23 11:36

Re: エチオピアの女王で、大間違いしてました!

もう何十年になるか忘れましたがエチオピアの王制は3000年の歴史シバの女王の子孫だと言われ
天皇制より古さを誇っていましたが、軍事革命で倒されてしまい共和制になってからごたごたしています。

最後のハイレセラシエ皇帝が人気取りの為国民にお金を直接配っているニュース映画のシーンは未だに鮮明に覚えています。
日本は一応昔から事実上の象徴天皇制で余り権力は行使せず世界一長いですが、絶対王政は何時かは倒されてしまいますね。
私はこの日本人の知恵は続いて欲しいです。

日本も外国式に言えば源王朝、足利王朝、徳川王朝といえなくも無いですが、皆事実上の絶対王政でしたから、つぶれてしまいました。
私は暇ですから若し今徳川18代将軍の世の中と仮定しましたら、私は事によったら、勤皇の志士になっていたかもと呑気な事を夢想しています。
隣の将軍様も共産主義というより金王朝絶対王政といえますが、何時まで続くか見物です。

私が覚えているだけでも敗戦国のイタリアのウンベルト国王や東欧諸国などのほか、
エジプトの太った王様ファールク国王、イランのパーレビー国王、アフガニスタンのマヘンドラ国王などは良く覚えています。

ネパールなども怪しくなってきましたが、アフガニスタン、ヨルダン、オーストリアのオットーハプスブルク氏、
スペインのカルロス国王などは皆アマチュア無線をやっているので、割合私には印象があります。

世界最古といえばアンドラは世界最古の共産主義といわれていますが、
エチオピアの最古のキリスト教と同じように今のものとは大分違いますね。

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1件のコメント

  • いろいろとありがとうございます。

    EAVOさん始めまして。6番スレで勝手にお名前を書いてしまって
    すみませんでした。

    エチオピアの王政がそのような長きに渡っていたんですね・・・本当に今のアフリカの状態については(ちゃんと分かっていないものの)どの国についても悲観的な気持ちになってしまいますが、つくづく日本はヨーロッパと離れていてラッキーだったなぁ・・・と不謹慎な事を考えてしまいます。

    「権力者が庶民にお金を配るの図」も強烈ですね。私は映画でしか見た事ないけど(「エビータ」でマドンナがエバ・ペロンを演じてたヤツ)それでも忘れがたいシーンでした。最近ではサウジ王室も似たような事やっるみたいですね。
    (あれは自国民ではなくリゾート滞在先の外国の人に対してだったかな?)

    「やんごとなき方々」でも共通の趣味等があれば親近感がぐっと増しそうですね。そういえば数年前に伊のウンベルト国王の子孫が帰国を果たしたとTVでやってるのを見ました。

    それからアンドラが世界最古の共産主義国だったというのは知りませんでした。リヒテンシュタインみたいにずっとその地を仕切ってる一族がいる・・・という国なのかなぁ・・・とイメージしてました。

    本当にこの掲示板はためになります~。

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    06/02/24 10:18

    Re: いろいろとありがとうございます。

    ごえもんさんお早うございます。
    私は専門家の皆さんのように掘り下げて議論すればぼろが出ますが、
    掲示板の中では長く生きていますので、雑学の種は多いかもしれません。これは旅行に関しても同じです。広く浅くです。

    第1次大戦のトルコやドイツの王室、第二次大戦の多くの敗戦国の王室は日本を除いて殆ど廃止されてしまいました。
    スペインは一時ヒットラーと協力関係にあった右翼のフランコが王室を温存してフランコ没後復活しました。
    最近はルーマニアの王室も一般人として政界復帰などのニュースも聞きます。

    私のように何処の馬の骨かわからない先祖を持つものはそのような話に興味があります。
    今度オリンピックの代表になりそこねました織田信長の子孫の話も次のバンクーバーにはと期待しています。

    日本の場合は米国の占領政策で例外的に残りました。
    その原因は日本の皇室が直接政治をやらず軍部が実権を握っていた時も利用されましたが、
    実際はは象徴的な存在だったので助かったのだと思います。
    戦前天皇機関説は不敬ということになっていましたが、天皇自身はこの説を支持していたとも聞いています。

    尊皇攘夷の幕末も玉を奪うと言う言葉が飛び交い、佐幕派と勤皇派どちらが味方につけるかの争いで皇室自身がそんなに実力を持っていなかった、
    しかしいざとなるとその権威が利用されたと言うのは、終戦時と明治維新は似ています。
    戦前はこんな事を書くだけで私は警察行きでした。

    私は旅行をするのもただ物見遊山、温泉に入るだけの時もありますが、
    殆ど初めての入国のときはその国の歴史等は出来るだけ調べて行きます。
    その為なんとなく放浪している人の気持ちがわからなくて、質問をしてしまう事もたまにあります。
    これからも判らない事だらけですので宜しくお願いいたします。

    私の中では今でも知識を世界に求め万機公論に決すべしの五箇条のご誓文は生きています。
    これの元を作ったと言われる由利公正の越前福井藩の史跡も見に行きました。
    私は大学へ行かず親の後をついで酒屋をやっていたので人一倍貪欲なのかもしれません。
    50歳を過ぎて商売を子供に譲り正確な日本地図を作った伊能忠敬は私の理想です。
    しかし憧れで全く雲の上の人です。せめて元気に旅行だけでもと言うのが精一杯です。
    私にとっては旅行は歴史と地理は結びついています。なんといっても実学が一番覚えます。

    しかし関心があるので伊能忠敬、間宮林蔵、終戦時の首相鈴木貫太郎の家は全部、博物館になっていて、車で千葉と茨城と近いので一回りするのに都合が良かったです。