Re: この頃こう思うようになりました。 こんにちは、ぼうふらおじさん ふと思い出しました。 昔、バスを連ねて名所を見て回る日本人の団体を苦々しく思っていたことがあります。 英語すら話せず、たかが4泊や5泊でローマやパリを回って何を見るんだか、と冷たい目で見てました。 あるとき、ヨーロッパのどこかの町で、やはりバスを連ねた日本人の団体を見ました。 ちょうどホテルの前にバスが止まって、降りてきた人たちの中に ステッキをついた年配のご夫婦らしいカップルが見えました。 そのときにはっと気がついたんですね。 この人たちはたぶん今までずっと働いてきたのだ。 おそらく時代のせいもあって、外国語を身につけることもできなかったのだろう。 生活に余裕が出てきたから、話に聞いたパリやローマに行ってみようと考えて何が悪い。 外国語ができなければ、ツアーに頼るしかないではないか。 わたしが個人で海外に出かけられるのは、単に機会に恵まれたというだけのことなのに この人たちを鼻で笑う権利がどこにあるのか? このときは反省しましたねえ。 そのままホテルに入ってゆくそのご夫婦を見送りながら、 心の中で「お気をつけて、楽しい時間を過ごしてください」と言ってました。 それ以来、日本人 (だけではないけれど) の団体のかしましさに閉口することはあっても 侮蔑的なまなざしを向けることはなくなりました。 人それぞれ、それぞれの事情があるのだ、と思うのです。
また今度・・・の幸せ エラソウな事をかいてしまったのに 有難うございます。 私も多少?歳を行ってそこそこの海外旅行の経験?を幸運にも重ねる事が出来ました。 もちろん ついこの間までは・・・なんだこのオバサンたちは・・・と思っていましたが、うちのオバサンがついてくるようになって見方が変わりました。 考えて見れば 今までの世代は何かの機会を一度失うと二度目はない・ ・という時代を生きてきました。 その人たちにしてみれば生きているうちに出来るだけ多くの有名な・・ ・場所を見ておきたい、 ああ その場所のひとつに今いる幸せ・・ ・。 ですから ゆっくりなんかしてはいられないのでしょう。はしゃぎたくもなるのでしょう。 幸せなんです。 それに比べて また今度を楽しみに出来るなんて・・・とうちのコワイオバサンの言です。 いえ 私と一緒のためあんまりアチコチへは出かけてないんですが・・・。 次の機会を楽しみに出来る幸せをもっと大切にしたいものです。 なんか またまたエラソウなオハナシになってしまいました。 トシですね。
本当のこと 本当のことを書きましょう。 登山電車でつきとばされそうになったのは杖をついていた 私の当時79歳の父です。なんとかお父さんだけすわらせ ねばと思いました。オバサマたちは「XXさあ~ん、こっち、 こっち」てな感じ。いくらチャンスが一回かもしれなくても 足の不自由な年寄りをおしのけなくてもいいでしょう? 結局譲ってくださったのは日本の方でなく、上品なヨーロッパの 方でした。 オバサマたちにもいろいろいるのですよ。 でもそのとき私はものすごく悲しく、情けない思いを しました。それをどう表現したらいいのでしょうか。 父は80歳です。心臓もあまりよくないようです。 もうツアーには参加できる体力はないでしょう。それなのに 「俺はあと何回いけるかな?」と言われた娘の気持ちを どうかお考えください。 現在、わたしは「お父さん、次はどこへ行きたい?」と たずねながら次の計画を練っております。 心臓ペースメーカーを埋め込みましたので、スイスには いけるのでしょうか。それどころか、もっかの課題は空港の セキュリティチェックをどうやって通るかなんですよ。 それともそんな年寄りはもう行かないほうがいいとおっしゃい ますか? 母は一年半前に亡くなり、父は「おかあさんをつれてこられたら よかったのにね」といいます。健康であることが一番 幸せなのです。娘はそれが一番心配。 ごめんなさい。ちょっとキレちゃいました。