Re: Re: スイスは憂鬱?

ぼうふらおじいさん、おはようございます。
お呼び立てして申し訳ありません。

>間違いではございませんが、一週間ではなくて一ヶ月以上以上・・・です。

失礼致しました。
確かに、ホテルとはいえファミリーで経営している場合、見知らぬ人が同じ屋根の下に一か月・・・となると確かにお互い疲れますよね。

嫁・姑の関係を考えれば・・・一月と言うのは結構忍耐力有り・・でしょうか・・。

>周囲の大国?の辺境のあぶれ気味の地域同志の寄り合い所帯・・の国ですから 同じスイスの中でもずいぶん気質が違うんだそうですが、人見知り体質は殆んど変っていないのだとか。

州が変わると他所の人・・なんですね。
別段旅行した国に染まりたい気は無いですし、ファミリー経営のホテルと言えど、商売ですのでドッて事無いのですが、イランオジさんの話を聞いたら「スイス」と言うイメージが若干(かなり)割り引かれた気分でして・・・と言いつつ、そんなので気落ちする歳ではありませんので、少し時間がたてば再訪くなる事でしょう。

そんな折、昔一緒に出張した先輩(OB)が、出張時移動したスイス⇔フランス間、何処をどう移動したのかさっぱり判らないと仰せなので、できたら一緒に再訪しても良いかな・・などと考えています。

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1件のコメント

  • 疎開経験がどこかで生きているのかもしれません。

    内蔵介どの

    あまり豊かでない地域に顔見知りばかりで何世代も暮らしてきた中に突然ことなる顔つきで生活様式も違うのが居座ったらやはり不安になるのは当然・・と思いますので、あんまり私は気になりません。というより同じ場所に何回も通ってある程度場所?ができた・・という一種の優越感が言わせることかもしれません。

    こうした理解の根底には戦争中の学童疎開と家族による縁者のいない農村への疎開経験があるのかもしれません。

    私の定宿はオカミサンが地元有力者の出、亭主は外から来て村会議員?にもなった人ですがカナダの山小屋であったグリンデルワルド出身の山岳ガイドの親分に出会い、その宿の話になったとたん、<あいつはよそ者だ>と結構激しい口調で言い切りました。 オカミサンの話は楽しそうに話すのにです。

    もう一つこの宿での話しですが、われわれグループがある晩いつもと違う席で食事をしていました。到着が遅くなったためですが、そうすると地元の連中がはいって来てわれわれをジロリと眺めたあとしばらく話をして出て行くことが続きました。その晩遅くなって仲間の一人は戻ってきたその地元連中と飲んだらしいのですが
    翌朝オカミサンに聞いたら、その場所は地元のオジサンたちの溜まりの定位置テーブルだったとの事。

    彼らが入ってくるたびに亭主がわれわれを日本からもう何年も来てる常連だから今日は場所を貸せ、1時間後には空くから・・といっていたのだそうです。

    翌日のハイキングや通りで知らないオジサンたちからいかつい顔ながらやたらに声を掛けられたのを憶えています。 客商売に関与していない男共は普段はほんとうに無愛想なのにです。

    当然のことですが フランス語圏の人とドイツ語圏の人とではまた別な差があるようです。一面的ではありますが最初から愛想が良いわりに知り合った後でも冷たさが残るタイプと無愛想なのに付き合うと細やかな温かさを示すタイプ。 どちらがどちらかは・・お任せしますが、とうぜんフランス語圏びいきの人はまた別な意見もあることでしょう。


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    Re: 疎開経験がどこかで生きているのかもしれません。

    ぼうふらおじいさん。

    >あまり豊かでない地域に顔見知りばかりで何世代も暮らしてきた中に突然ことなる顔つきで生活様式も違うのが居座ったらやはり不安になるのは当然・・と思いますので、あんまり私は気になりません。

    余所者に対する意識ですね。
    日本でもまだまだ根強い所があると聞きます・・・が、それにしてもカナダと言う異国で出身地の話題の中に「余所者」と言う表現が出てくるのがすごいですね。

    ぼうふらおじいさんは学童疎開経験の年代でしたか。
    SF作家の平井和正氏が疎開先で子供のボスとナイフで決闘した・・・と聞きますが昔は日本も同じようなものだったようですね。

    私はもちろん戦後生まれですが、途中転校してきた同級生のことを思うと「余所者」的な目で見ていたように思います。

    スイスの人はそれが日本人よりちょっと強いだけ・・と考えておきます。

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