続きです。 yarlan-zey殿 私の乗ったのはグレッチまでです。 秋口の最終日曜日でした。 全乗客もスタッフも全員お祭り気分。 出発時に蒸気圧が上がらず、1時間ずれにもかかわらずみんなで大騒ぎでした。 どこかのコーラスグループが乗っていて、どうも格好の汽車メドレーを歌いだし、これまた大喝采。 停車場から100米ほども離れた車庫まで撮り鉄グループを案内するサービス振り。 その渦中で実は工夫スタイルのおじさんおじいさんの方が偉いんだとわかった次第です。 車掌の親玉は絵に描いたようにコワモテのおばさんで、若手の車掌はボンだかケルンだかのテレビ屋さんの夏休みボランティア。ベッドと食事以外は自分もちでも希望者が多くてもぐりこむのに大変なんだとか。 それに私の乗った車輌は窓がガラスでなく、ブラインドは木製で止め具は皮ひも。100年以上前のレトロ車輌だとか。帰国後この話をしたら先輩の鉄キチ殿がそのタイプは”汽笛一斉新橋を・・・”時代のものかも・ ・とよだれを垂らしていました。 ところがフルカ駅を過ぎてトンネルに入り、いったん閉めた窓が簡単に開かない。 その間煙を避けて車内に来た若い車掌が調子に乗っていろんな話をするので気がついたらローヌ氷河が見える場所のかなりの部分を窓を閉めたまま通過でした。 出発が1時間遅れですから到着も一時間以上遅れ、連絡駅のオーベルワルドまでは彼らの用意した臨時バスがグレッチ駅にしっかり待っていました。 私たちはここであわただしい昼食で、グリムゼル峠越えのマイリンゲン、グローセシャイデック経由のグリンデルワルドでした。 来年秋にでも復旧全線の再チャレンジをするつもりですが・・。
フルかトンネル開通以前に・・・ 乗られてはいないのでしょうか? トンネルは1982年の開業、私が初めてスイスに行ったのが翌年だったかと思います。 勿論出張ですので氷河急行に乗れるわけでも有りませんが、後でわずか1年前に(写真で見た)車窓が見えなくなったと知って、何故かすごく残念でした。 >来年秋にでも復旧全線の再チャレンジをするつもりですが・・。 全通すれば慌しくしなくてもよさそうですね。 私も適当な時期(込み合う前)に行きたいものです。
なにお隠そう、実は・・・ 内蔵介さん いえもったいぶるほどのことではありませんが、フルカトンネル開通後すぐにアンデルマットからクラシックな氷河急行に乗って、これまたクラシックな食堂車でトンネルを抜けたのですが、このときに実は愕然としたのです。なぜならこの4-5年前に出張中の時間を見つけて半日この辺の電車を楽しんだことがあるのですが、知らないとは恐ろしいこと、なんとオーベルワルドのホンノ少し手前のビワルド?無人駅で気まぐれに降りて駅前の無人リフトで山の上への村・・・ほとんど日中はこれまた無人、へ行ったことがあるのです。 帰りは ミュンスターなど昔の木小屋が無数に残る(今はほとんど貸しシャレーに変身しています)駅を一つづつ降りてぶらぶらしたのです。 もう少し足を伸ばしていれば本当に貴重で威張れる!体験が出来たのに・・なのです。 これも今はむかし・・・。 でもこんなことがあったから 今に至るご縁があるのかもしれません。