三次浅野

ジョージイさん。こんばんわ。

>確か浅野家の支藩があったところですよね。

そうですね。
ご存知のように赤穂浅野家、野内匠頭長矩の奥方阿久里さん=瑶泉院の出身地です。
私の故郷とは御親戚。でも確かお世継ぎに恵まれず途中でお家断絶したのではなかったでしょうか?
勿論赤穂藩も同じですが、情けないことに浅野家の後に治めていた殿様まったく知りません。

私も三次は素通りだけで下車したことがありません。
広島側ではないですが三江線や、少し離れていますが木次線など車窓はなかなかのものです。
私も一度ゆっくり訪問してみたいです。

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1件のコメント

  • 06/03/06 11:39

    浅野本家

    内蔵介さん今日は、鉄道好きと地理、歴史好きは私も似ています。
    私の先祖はろくでもないので、有名人には憧れています。

    赤穂浅野家ではなく広島藩本家の方ですが、私が生まれた時は未だ大藩の殿様としては25歳で明治維新を経験した、
    浅野長勲氏が健在で昭和13年95歳でなくなりましたが、殿様商売も結構時代劇のようなものとは大分違っていたようです。

    家来が持ってきた食事の中に間違えて鼠の糞が入っていた時にそれを承知て食べてしまったそうです。
    若しそれを公にすると家来に切腹をさせなければならないので、それを救う為気を使ったそうです。

    小藩で一番最後まで生存していたのは千葉県の木更津藩主だった林忠崇で維新時幕府軍に属して仙台で降伏し昭和16年まで生きていました。

    言い出したら限りがありませんが、私の今住んでいるマンションの権利者の一人に鹿児島藩最後の殿様島津忠義の孫島津矩久氏がおり、
    再開発の集まりに孫?すみこさん(今の名義人)と一緒に電車で自宅のある南平台の豪華マンションから電車で来ました。
    私も恐る恐るエレベーターで一緒になり声を掛けましたら、育ちのせいか穏やかな人で丸に十の字の薩摩藩のバッジ(島津興業)をつけていました。記念に再開発のビデオにとって有ります。
    島津別邸磯庭園の社長もやっていた人で世が世ならとても会えない人です。
    私が持っている旧大名家の写真集(毎日新聞社発行)にも昭和天皇と一緒に島津一族の一員として写っています。(皇太后陛下は島津家のご出身)。

    大奥の人達の明治以後の話なども興味が有ります。前に行った時イスタンブールのトプカプ宮殿内にあるハーレムの組織が丁度大奥の仕組みと同じなのを見て驚いた事が有ります。
    なおハーレムは真冬の1月で団体客が少なかったため楽に入れました。
    東京見物の1日ツアーに参加して見ましたが、皇居東御苑は誰でも入れます。大奥の後は今芝生になっていてカラスが一杯いました。
    東京の人も、はとバスなどで東京見物をすると新発見が結構あります。灯台下暗しを実感します。

    内蔵介さんの赤穂藩話から話を無理につなげましたが、限りが無いのでこの辺で終わります。
    何回も繰り返しになりますが歴史に関心があると旅行も楽しいです。
    これこそ学校では教えてもらえない旅行による実学です。

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    戦前はLast Samuraiも御健在だったんですね。

    EAVOさん、こんにちわ。

    >言い出したら限りがありませんが、私の今住んでいるマンションの権利者の一人に鹿児島藩最後の殿様島津忠義の孫島津矩久氏がおり、

    今でもご立派な家柄ですね・・確か・・天皇家からも島津に嫁がれていますよね。

    HNを借りている大石内蔵助の三男大三郎は本家浅野に仕官し、その御子孫は演歌歌手大石雪絵さんでいらっしゃいまして・・時々赤穂にキャンペーンで来られていました。
    演歌は門外漢なのでCD買っていませんが・・。