早速 googleマップで調べてみました。 地図とコメントを照らし合わせて地図を追ってみました。 時間があればそのバスに乗ってみたいです。 また、先日ご紹介いただいた本「観光コースではないベルリン」についてですが、あさっての休みにでも探しに行くつもりです。 先ほど読んでいたクリストファー・ヒルトン著の「ベルリンの壁の物語」の下巻を読み終えました。壁についての知識をかなり付けられました!東ベルリン内には西ベルリンの「飛び地」が約10箇所存在したことをこの本で新たに知りました。アイスケラー・シュタインシュテュッケンなどです。 チェックポイントチャーリーと似た検問所のブラボー・アルファについて質問があります。 アルファはベルリンから近いので訪れようかと思ってるのですが、体験談お持ちでしょうか?
Exklaven >東ベルリン内には西ベルリンの「飛び地」が約10箇所存在したことをこの本で新たに知りました。アイスケラー・シュタインシュテュッケンなどです。 東ベルリン内ではなく東ドイツ(DDR)内ですね(この違いは西ドイツ、西ベルリンにとっては重要)。 写真載ってませんでしたか、自転車に乗って学校に通うアイスケラーの小学生をジープでエスコートするイギリス軍兵士。細い道一本で西ベルリン「本土」につながっているアイスケラーに住む小学生の男の子が学校に通うのをDDRの兵士だか警官(Volkspolizist)が妨害したので、イギリス軍が毎日登下校につきあったのです。 シュタインシュトュッケンは行ったことがありますよまだ壁のあった頃。ただもう領土交換が行なわれた後で「本土」との間に道路が通じていて、路線バスに乗って行きましたけど(帰りは歩いたかな、本土まで?)。 その他大部分の飛び地は住人がいなくて、牧草地とか市民農園でしたが、シュタインシュトュッケンやアイスケラーが領土交換で「本土」と陸続きになるのと交換に東ドイツに譲渡されたものもありました。 ベルリンじゃないですけど、ボンドさんバルレ・ナッソー、バルレ・ヘルトホってご存知ですか?
存じないですね。 バルレ・ナッソー、バルレ・ヘルトホなる言葉・・・人名ですか? あとアイスケラーの小学生がイギリス軍の護衛のもとに通学しているという話は先ほど読み終えた本にも記述がありました。写真は掲載されていませんでした。 「エルヴィンがシュパンダウの学校に通う際、ソ連兵と東ドイツ兵に妨害されたので護衛を要請した」旨のです。
間違えました! ポイント・ブラヴォーの方です。 アルファはかなりの距離がありますね・・・失礼しました。 「ポイント・ブラヴォー」のほうです。 地図を見ると、ブラヴォーの位置は西ベルリンの外れのようですが、訪れた事はございますでしょうか?
Checkpoint B はい指摘のコメント書く前に気付かれたようですね。Chekpoint AはNiedersachsen州とSachsen-Anhalt州、つまり元のイギリス占領地域とソビエト占領地域の境界にありました。 それに対してCheckpoint Bはソビエト占領地域(Brandenburg州)とベルリンの西側占領地区(具体的にはアメリカ占領地区)の境界線、Dreilindenにありました。AもBもCもすべて行ったことがありますよ、と言ってもまだドイツ統一の前ですが。あの頃は自分で車を運転してDDRを抜けてベルリンに行ったりしていました。 元のChekpoint B、Dreilindenへは車でなければ確か路線バスがあったと思います。あとで調べてみます。 アルファー、ブラヴォー、チャーリー、デルタ、エコー、フォックスロット...ズルー。ご存知かと思いますが、無線に使用するフォネティック・コードです。和文だとあさひのあ、いろはのい、うえのう...おしまいのん、と言います。