マリエン橋はバスは行くけど、馬車は行かなかった記憶が? 下りは記念に歩いて入りてきました。 上りははバスは行くけど馬車はマリエン橋まで行かなかったのでそちらを選択した記憶があります。 観光客がいる時間帯は大丈夫だと思えますが心配ならチケット売り場ででも確認されてはどうですか? 何月に行かれるかは分かりませんが? 成功を祈る!
ルートヴィヒ2世は薬物中毒だったのか? 歴史を軽く振り返った限り、ルートヴィヒ2世の死因は水死ですが、謀反を企てて王を追放した勢力に殺害されたという説があります。それまでの経緯から考えると、殺害説の信憑性は高く感じられます。 王は狂っていた?ゲイだった?浪費癖のある建築マニアだった?平和主義者だった? 様々な見方があるようですが、私の見解は執政派に覚せい剤か何か、薬物を盛られて、狂人扱いされた王なのかと思うのですが、ルートヴィヒ2世について詳しくご存知ですか?誰か詳しい方はいませんかねえ?
真実はさっぱり Wikipediaさんでの記述では薬の話はなかった気がしますが、 つくった本人は壊してほしかったお城が後世でこのように芸術として愛されていて、 きちんと運用できる財産としても大事にされてよかったなー。 見に行くの楽しみです! 事故か他殺かは真実は知りませんが、 仕える立場だったら、この人大丈夫かなー?と思われて、 まわりに利用されてあげるほど扱いやすくもなく、 関わるとめんどくさい痛い人扱いになったとか?
それは考えられないでしょう この王様には全く興味はないのですが、この時代は好きです。バイエルンじゃなくてプロイセンとオーストリアの方ですけど。 だってね、一国の権力の頂点に立ちながらですよ、引きこもって趣味の悪い(個人の見解です!)城ばかり建てるしかなかった人なんてダメでしょ。おまけに私はワーグナー大嫌いなので。せっかくのドイツの激動期、いっちょプロイセンと一戦やったるかー!とならないのかと、情けなくなりません? 今の視点からみて、狂人というよりむしろコミュ障のアスペとか境界線人格障害だったんじゃないかと私は思います。もちろん素人の勝手な判断ですが、あのノイシュヴァンシュタイン城の内装とか、他人と一切コミュニケーションしなくて済むよう食事を機械で運ばせるようにした装置とか見てるとそう思わずにはいられません。 説は色々唱えられていますが、精神病の診断が怪しいものだったらしいし、当時のバイエルンの財政は破綻寸前だったので、狂人と判断すれば無能力者(禁治産者)として統治能力なしという理由で王位剥奪可能だから、そのあたりの理由が信憑性ありそうです。 殺害説はあまり説得力ないでしょう。 その当時もうドイツはプロイセン中心の統一が完成していて、バイエルンはあくまでもドイツ帝国(ライヒ)を構成する邦(ラント)の一つでしかなくなっていたから、もはや周囲に威を振るう力もありません。主権はかろうじて残存していても、帝国で圧倒的に存在感があるのはプロイセンのみ。そのような状態のバイエルンで果たして王位を奪った後に廃位王を殺す必要があったか? ドイツ語のサイトをサーフィンしてみたのですが、検死記録では外傷はなかったようです。むしろ心臓発作などの理由がありうるかもということでした。でもあの侍医の死因は分からないですが。 専門家ではないので確実なことではないですが・・これ以上書くとまたシッタカと言われそうなのでこの辺でやめておきます。
一国の君主 真相がネットに情報が出ないのは当然で、あっても隠されているのが現実でしょう。 成書レベルに現れてこないのは・・・ 大正天皇のタブーと似ているかもしれません。
ありがとうございます 混雑するとあったので少々不安だったのですが、チケット売り場で確認できるようでしたら、聞いてみますね! ありがとうございました!