退会ユーザ @*******
10/04/29 01:33

コインブラのエレベーターとポルトのケーブルカーとゲーラ・ジュンケイロ博物館?

コインブラのエレベーター乗りましたよ。
大学のある丘まで往きはバスだったので、下りで乗りました。

丘の上の住宅地を見ながら長ーいエレベーターでの下り、いい景色でしたよね。
下りは反対側のアルメディーナ門の方へ歩いてでも帰れそうだったけど、わざわざエレベーターに乗りに行ったのでした。

ポルトのはケーブルカーですね?
川沿いカイス・ダ・リベイラから帰りはケーブルカーで登って帰ろうという算段だったのですが 
急遽カテドラルの近くに有る「Casa Museu Guerra Junqueiro (ゲーラ・ジュンケイロ博物館)」に行くことにし、
これが閉館時間との戦いだったので、ちょっと裏路地的な感じの長い階段をかけ上って行きました。

「ゲーラ・ジュンケイロ博物館」は日本のガイドブックに載ってないようなところです。

ゲーラ・ジュンケイロという人が住んでいたところが博物館になっているわけですが、
家具だの彫刻だのテキスタイルだの世界の陶器だの宝石だの...
たくさんの収集品がところ狭しと飾られていました。

出てから門のところにある説明を読むとGuerra Junqueiroは詩人とわかりました。
ジュンケイロってなんか聞いたことがあると思ったら!
きっとペソアかタブッキの本で出てきたのでしょうね。
フェルナンド・ペソアと同時代の詩人ですよ....
何にも知らずに行ったのに、この奇遇に驚いてしまいました。

ペソアって意外なことに「貧困の中にいた」...ような記述が詩の中にかありませんでしたか?
それはこのゲーラ・ジュンケイロを意識すればそう言っても無理はないか...と
詩人でこんなに財力のある人がいることもちょっと意外でした。
詳しくは知りませんけど。

その後、また裏路地的長い階段を下って、さらにドン・ルイス一世橋を渡ってヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアへ行きました。
船や対岸のポルトの街が見えて、この辺りはとてもいい感じでしたね。

また橋を渡って戻りましたが川縁のカイス・ダ・リベイラの西の方のレストランで夕食をとることにしたので
とうとうポルトのケーブルカーには乗れずじまいでした。

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    10/04/30 09:59

    Re: コインブラのエレベーターとポルトのケーブルカーとゲーラ・ジュンケイロ博物館?

    Eucomis sp.さん、こんにちは!

    わぁ、珍しいところに行ってこられましたね!
    ゲーラ・ジュンケイロ、うーん、名前に何となく聞き覚えがありますが、どこか定かではありません.......
    wikiで調べてみますと、思想的にも、近代化に大きな影響を与えたひとのようですね。

    まあ、この方は、コインブラの大学の先生だったようですから、経済的には安定していた??建物自体、18世紀に遡る、有名建築家のもの.....かな?私の英語力で、さっき大急ぎで読みましたので、間違っていましたら訂正を!

    文学者とお金、ということでは、全然別の人物ですが、サマセット・モーム、若い頃読んだことのある『要約すると』を最近再読する機会があり、彼が大金持ち!だったことにびっくりしました!(リビエラに別荘、ヨットで読書三昧!)
    若いころは、きっとお金に対して、今ほどシビアではなかったので、たぶん、読んでもそういう面には気がつかなかったのですね、でも、今は主婦、家庭の財務大臣であり、年金の行方がおおいに気がかりになる年齢となって、こうした下世話な部分に気がつくようになったのでしょう。

    ペソアは、しこしこと事務員をして生計をたてていましたよね、そこがリルケと比べて共感するところ、とうちの薄給の労働者である息子は言っていました。


    先にも書きましたとおり、ポルトは、私は勉強不足でした上に時間も短く、コインブラがいたく気に入ってその印象が強いまま早々に引き上げてしまいました(列車の時間がありますので。その点、車は羨ましい!)
    でも、ドン・ルイス一世橋のたもとで、ゆっくりしたひとときは忘れられませんね、絵になるところですよね。

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    退会ユーザ @*******
    10/05/01 02:32

    ポルトのボア・ヴィスタ通り〜ケージョ城海岸?/公園はWiFi

    ゲーラ・ジュンケイロは1866年にコインブラ大学の神学コース登録したけれど、
    食べていけなさそう?なので2年後にDireitoコースに変え、1873年に終了したそうです。

    なので、コインブラ大学の卒業生ということではないでしょうか。
    転向したコースは右翼とか訳されましたが、ところ変わればで
    ポルトガルにはこういったコースがあるのでしょうかね?ちょっと謎です。

    ゲーラ・ジュンケイロは1974年4月25日、新政府誕生(リスボンの春)の革命の気運を起こすような
    詩を書いていたらしく、まさに「ペンは剣より強し」を地でいくような話ですよね。


    ポルトは「ボア・ヴィスタ通り」が地元の人のお気に入りだそうで
    車の返却時間より早めに着いたので、車でこのボア・ヴィスタ通りを西に突き当たる海岸
    「Praia do Castelo do Queijo(ケージョ城海岸?)」まで行ってみました。

    海岸には「ケイジョ城」というお城があって、高さがないので遠目には城跡なのかと思うほどなのですが、
    入ってみるとそうではなくて、ほとんど城壁の中に伏せたような要塞なのでした。

    海岸は岩場と砂場が混在する水も綺麗な海岸で、都心から8Kmほどでこんな綺麗で自然な海岸があるなんて、
    ポルトはすごく恵まれていると思いました。
    遊歩道もあって整備もされていて市民の憩いの場になっていました。

    この海岸もそうですが、インフォメーションの地図にWiFiマークがあって
    ポルトの公園のようなところはよくワイヤレスでインターネット接続が出来るようです。


    「Casa Museu Guerra Junqueiro」は博物館というよりどちらかというと美術館かもしれませんでした。

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