Re: Re: ポルトについて2(50分クルーズ、治安)/乗ったんですけど........

Clio様、こんばんわ。

出没?ありがとうございます。


>イベリア半島に出没頻繁なクマさん..
→(^o^)。そうでしたか。


>グーグルアースで見ますと、6本目って、相当上流ではないのでしょうか?

→1~6本の橋間の距離は4km程度で、2kmも移動すると6本見えてしまうと思います。
往復で4km以下しかクルーズしないとなると、時速4.8km以下で、歩くよりは速いけど、..。

また、地図は拡大しないと、4本目のマリア・ピア橋がないように見えるかも知れません。


>写真には、でも、鉄道の橋は写っていました、鉄橋の上を電車らしき姿が走っているのでそうだと思います。
→確認ありがとうございます。5本目の橋です。
リンクもありがとうございます。6本見える気がしてきました。4本くぐるって事と理解しようと思います。


また、ツアー会社のリンクもありがとうございます。
要予約で、出発時間の記載もあり参考になりました。


私もそんなに橋に興味がある訳でもなかったのですが、橋からポルトの歴史を知る機会になる、うんぬん..なんて言われると、段々気になってきて、今は幻の7本目のつり橋や、その前にはナポレオン時代に小舟を20艘つなげた初代の橋があったとの事でその面影も追いかけてみたくなり、面白いなと感じています。橋の名前もポルトガル国王や女王から取られて、開通式も国王の命により執り行ったなど、興味深いです。

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    11/02/13 18:13

    Re: Re: Re: ポルトの橋

    ヤマデンブルクさん、ご丁寧なお返事ありがとうございます。

    う~ん、出かける前にお話を伺いたかった!
    気になるではありませんか~今更です(涙)。

    そう言えば、橋の名前もそれぞれ由緒ありげですね。

    >ナポレオン時代に小舟を20艘つなげた初代の橋があった
    すごいですね、ちょっと因幡の白ウサギに似ている?!


    改めて写真で見ますと、どうもグーグルアースとちょっとうまく合わないのです。
    が、Ponte Don Luisに少し造りが似ていて、但し足元に水平な架橋のない小振りなものがおそらくPonte de D Maria Piaかと思うのですが、それと、コンクリート製と思われるPonte de Infanteは殆ど重なって写っています。これを、上流側から見た写真になっていて、遠くにPonte Don Luisが見えています。

    鉄道橋をくぐったか、手前で引き返したかはちょっと定かではありません。

    そうか、橋、という攻め方もありでしたね!
    不覚。



    よい旅になりますように。

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    Re: Re: Re: Re: ポルトの橋

    Clio様、こんばんわ。

    確認ありがとうございます。

    >Ponte Don Luisに少し造りが似ていて、但し足元に水平な架橋のない小振りなものがおそらくPonte de D Maria Piaかと思うのですが、それと、コンクリート製と思われるPonte de Infanteは殆ど重なって写っています。これを、上流側から見た写真になっていて、遠くにPonte Don Luisが見えています。


    コンクリート製でPonte de D Maria Pia(4本目、旧鉄道橋:隠居中)とすぐ重なって見えるのは、5本目のPonte de S. João(新鉄道橋:現役)です。これを上流側から見たと言う事は6本目のPonte do Freixoも見れますし、その位置から遠くに橋が見えるとすると、ルイス1世橋(2本目)ではなく、3本目のPonte de Infante D.Henriqueと思います。


    橋の一覧はこちらが参考になります。
    http://www.portoturismo.pt/index.php?m=3&s=2&tipo=5 

    ちなみにPonte Pênsilと言うのは幻の7本目のつり橋の遺構(橋げたのみ、ポルト市側のみに残る)で、次のリンクの写真のような感じです。
    http://www.alvaroazevedo.com/pensil/

    尚、初代の舟の橋Ponte das Barcas(渡し舟の橋)は下記リンクの2枚目、4枚目の写真のような感じです(クリックで拡大できます)
    http://doportoenaoso.blogspot.com/2010/04/os-transportes-maritimos-e-fluviais-6-o.html

    ナポレオン軍が攻めてくると知った市民が対岸に逃げようとこの橋に殺到し、重さに耐え切れず、多くの市民が犠牲になったとの事です。

    参考まで。