旅(海外個人旅行)とは、「いままで知らなかった、新しい自分との出会い」です。

>>これ全部、いままで知らない人との出会いです。

旅の本質は、いままで知らない人との出会いです。
だから、旅先では、出会った人と次々と会話をします。

例えば、僕は、
ウィーンのホテルを出て、ザルツブルクへ着くまでに、
市電の中で、日本女性2人と会話をし、
列車の中で、68歳の日本人サイクリストと話をしました。

『ウィーンからザルツブルグ(ザルツブルク)へ、EXP142 PONGAUで3時間20分』@ザルツブルク/オーストリア
http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/europe/vienna-salzburg.htm

旅先では、いろんな人と出会いますね。

でも、(これからいいことを書くので、注目してね)、
本当の初めての人との出会いとは、「いままで知らなかった自分自身との出会い」です。

ねー格好いいでしょ(笑)。
ホント、僕は頭がいいなー。

旅で、宿も、交通手段も、オマケに出会いまで予約しようというのは、大間違い。
なぜって、予約する時の自分は、日本にいる自分です。

でも、旅に出たら、自分が変化するんですから。
旅の中で、自分がどんどん大胆になって行くことを、感じる人も多いです。

また逆に、自分が旅から逃げて、弱いんだと自覚することもあります。

旅とは、自分が今まで知らなかった自分を発見する場です。
ですから、列車も宿も、予約をしてはいけないんです。

これが、海外個人旅行の本質ですが、
日本人は弱いので、自分を見つめることからも、逃げてしまいます。

自分から逃げて、予約しまくって、旅を重ねても、
そんなものは、本当の旅ではないんですね。

なぜって、「本当の自分から逃げている」からです。

みどりのくつした

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4件のコメント

  • 「毎日風呂に入らないと済まない自分」から「2週間シャワーを浴びなくても平気な自分」への変化。

    「本当の自分」を語りだすと、難しい話になります。

    話をわかりやすくすると、「毎日風呂に入らないと済まない自分」から
    「2週間シャワーを浴びなくても平気な自分」への変化でしょうか


    たとえば、歩き方掲示板でも、よく、
    「飛行機に乗る前に、シャワーを浴びたいのですが、空港にシャワー設備はありますか?」
    という質問があります。

    僕は昔、
    「ヨーロッパは乾燥しているので、一週間や二週間シャワーを浴びなくても気にならなくなります」
    と、アドバイスしたことがあります。

    でも、今は面倒なので、レスをつけません。

    これは僕が、パリからマドリッド、バルセロナへ旅したとき、
    安宿でシャワー使用料が別に取られました。

    それで、しばらく入らないでいると、
    別に気にならなくなって、
    一ヶ月近くシャワーを浴びなかったと思います。

    僕は海外旅行が長くて、日本風のお風呂には、何年も入らなかったことがあります。
    ですから、いまでも、
    変に長風呂をすると、気分が悪くなります。

    最近では、毎日風呂に入って、体の油を流すと、
    身体に悪いという話も聞きます。

    こういう変化は、旅の中で始めて知るものですね。
    また、あまりに清潔な環境で生活していると、旅先の普通の雑菌でも病気になったりします。


    暑さ寒さ、汚い環境にも耐えられる、海外旅行向きの強い身体を作るために、生活環境を整える
    http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/prepare/toughness.htm

    旅の中で旅人自身が変化する、
    とは、「人間は、毎日お風呂に入ると、身体に悪い」と、
    身をもって知ることも、そのひとつでしょうね。

    みどりのくつした

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    退会ユーザ @*******
    11/06/06 20:14

    お風呂って、汚れを流すだけではないんですよ

    このごろのお風呂って、汚れを落とすだけが理由ではないんですよ。

    ぬるめの湯にゆっくり入り、読書したりして、リラックスします。
    うちの風呂は違いますが、このごろの浴室は、ミストサウナだの何だのと、いろいろな設備がついています。

    もちろん、汚れを落とすのも、入る理由です。

    いろいろな理由があるんですね。



    ところで、予断なんですが・・・

    私は、時々、旅に関する裏話的な本を読みます。
    その時も、旅についての本を探して購入したんです。それが…

    偶然購入した本が、みどさんの本だったんです(*^_^*)
    その前から、この掲示板で、面白い(ときには奇妙な…スミマセン)書き込みをする人がいるなぁとは思っていましたが、まさか、その人の本を購入したなんて…
    なぜ気がついたかって?
    みどさんのこの掲示板でのリンクを見たら、そして、みどさんの立ってる写真の顔を見たら、その本にのってる顔と一緒だったんです!!!

    びっくりしました。

  • 退会ユーザ @*******
    11/06/06 07:46

    Re: 旅(海外個人旅行)とは、「いままで知らなかった、新しい自分との出会い」です。

    おもしろいですねー。ありがとうございます。

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  • 退会ユーザ @*******
    11/06/05 14:45

    Re: 旅(海外個人旅行)とは、「いままで知らなかった、新しい自分との出会い」です。

    みどりのくつしたさん こんにちは

    「いままで知らなかった新しい自分との出会」うための脱皮の旅もある。
    長い人生の中で、誰でも何度か直面しなければならないものだ。
    (物理的な旅行でなくても、精神的な旅でも可能だろう)
    しかし、危険がともなうことも意識すべきだ。
    まずくすると、精神が崩壊する。
    よくて根無し草となって社会に再適応できなくなる。

    古い自分を過去に置き去りにすることによって、新しい自分を発見する。
    ここで旅は終わりではない。
    新しい自分として、自分のいるべき場所に、自分が大切だと思う人々との関係のなかに、自分をもう一度根付かせる。
    ここまでが旅なのだ。

    ここまでの過程をこなす余裕や覚悟がないとき、変わる必要を感じないとき、
    新しい自分と見出すための旅はすべきではない。
    所属するべき社会、大切な人々との間の「つながり」を断ち切るだけに終わってしまう危険性があるからだ。
    社会から遊離した自分をもてあますだけに終わってしまう危険性があるからだ。

    ちょっとした気晴らしや非日常を体験したいときには、脱皮の旅ではなく、日常の延長線上にある観光旅行するのがいい。
    これまでの自分のままで、旅先でさまざまな人に出会い、知見を広め、無事に帰国して、
    すんなり日常に戻ればいよい。
    スムーズに日常に戻るためには、日本で守ってきた精神的な軸を維持しながら旅行することだ。
    そして、帰国したら、変わらぬ自分として親しい人々に土産話を披露し、絆をいっそう深めることだ。
    こうした観光旅行も、とてもよいものだ。

    ここまで書けば、私が何を言いたいのかはお分かりだろう。
    あなたは、脱皮の旅を装いつつ、日常の延長にすぎない観光旅行を続けている。
    脱皮の旅が観光旅行よりも上等だと言うのではない。
    脱皮していないのに、他人の観光旅行を見下すことの情けなさに気づけと言いたいのだ。

    なぜ、あなたが脱皮の旅、新しい自分との出会いをしてないと断じることができるか。
    それは、あなたが、古くありがちな欺瞞から抜け出ることができていなからだ。
    日本人である自分を日本人集団の外側に置き、「日本人ってのは……」と評論してみせる。
    この欺瞞を使うと、自分は傷つけずに、日本人その他大勢より一段高みにいる自分を演出しつつ「哲学」なるものを語ることができる。
    だがこれは、天に唾する行為だ。
    ここに気づいたか気づいてないかは知らないが、この欺瞞から抜け出せないあなたは、「新しい自分を発見する旅」などしていないのだ。
    危険を引き受けずに、「一般大衆」より高みにいることを装う。
    しかも、あなたが「一般大衆」とみなした人々との絆を深めることができない。

    >日本人は弱いので、自分を見つめることからも、逃げてしまいます。
    逃げているのは「日本人」ではなく、あなたなんだよ。

    イノウエ拝






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    11/06/05 17:21

    Re: Re: 旅(海外個人旅行)とは、「いままで知らなかった、新しい自分との出会い」です。

    イノウエ様

    いやはや胸のすく論考で感動です。もともと私は「旅」って言葉が嫌いなんですよね。
    大げさって言うか意識過剰というか・・・

  • 夢を見ることを諦めた、干からびた心で、旅をして、本当に楽しいでしょうか?

    海外個人旅行とは、まだ見ぬもの、未経験のものとの出会いを、期待することです。
    「夢を見る」ということです。

    だから、何事も安全に、旅出でる前から予約をして、びっしりと計画を立てて、
    旅先では、何も変わったことが起きないように、手配します。

    旅先の出会いも期待せず、旅先で自分の気持ちが変わることも、考えません。
    考えることは、ただ、無事に観光名所を要領よく見学して、何も変化せずに日本へ戻ること。

    これならば、旅に出ない方がいいです。

    夢を見ることも諦めた、干からびた心で、旅をして、
    旅の出会いも、旅での変化も、認めない。

    そんな旅が、楽しいでしょうか。

    ただ、「日本人は、旅を楽しまず、ただ我慢しているだけだ」
    と、僕はずっと昔から指摘しています。

    日本人旅行者は、本当は、旅を楽しんではいない
    http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/travellers/endurance.htm

    日本人の(特にネットの)自称旅行通諸君は、どうやったら上手に予約できるか、
    しか考えません。

    でも、お金をかけて、海外へ旅に出るのは、夢を見ることです。
    希望することです。

    思いがけない出会いを期待し、自分の変化を楽しむことです。

    それを、考えないのならば、
    地方公務員になって、無事に定年まで勤め、年金を計算している人生です。

    もちろん、そういう人生も、立派だと思いますけどね。

    みどりのくつした

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    ちょっと話が飛躍してるのでは?

    このトピのテーマはホテルを歩いて探すべきかどうか,の話です。歩いて探すのと,ネットで探すのと,どちらがいいホテルに泊まれるか,ということです。もちろん,歩ける距離とネットの範囲は全く異なります。言うまでもないでしょう。

    ホテルをすべて予約していても,1-2日前までなら変更可能です。すべて縛られることではありません。変更したときは次のホテルをネットで探します。これこそ「自由の旅」で,縛られるという感覚は全くありません。

    縛られるといえば,帰国便はだれでも縛られているではありませんか。帰国日も空港も変更できません。完全に自由になりたければ,すべてノーマル運賃で通すべきですが,普通の人はそれはできません。多くの人が海外に行けるようになったのも,制約つきの格安航空券や早割のチケットが出たからです。多少の制約を犠牲にしてでも「自由になるため」海外に行くのです。それがいけないですか。

    夢をもつこと,新しい体験をすることは,ホテルを予約するか歩いて探すかとはほとんど関係のないことです。私はほとんど予約していきますが,それでも旅に出るたびに多くの感動を得,多くの人と交流します。思いがけないこともいっぱいあります。日本で得られる情報は限られているので,すべてが決まっているわけではありません。個人旅行には,サプライズはつきものです。

    「夢を見ることも諦めた,干からびた心で旅をして,旅の出会いも,旅での変化も認めない。」そんな個人旅行はないはずです。

    自分だけが旅の達人だと思わないで下さい。