11/08/10 11:23

Re: Re: 欧州のパッケージツアーってどういうスタイルが多いのでしょう?

私の事実上最初の海外旅行は60歳を過ぎて12日間英独仏伊スイス、リヒテンシュタイン、オーストリアをかすめました。
忙しく修学旅行のようなたびでしたが、見るもの聞くことすべて新鮮で疲れはまったく感じませんでした。

不評の土産や連行も買いませんが飽きることは無かったです。

その後行きたいところは個人が多いですが後悔したところは1度もありません。
貧乏旅行、豪華旅行、世界の果てまで色々やりましたが、自分でそのときの状況に合わせますので、不満はまったくありません。

沿岸急行船、南極クルーズ、貨客船世界一週、シベリア鉄道、米大陸横断鉄道なども飽きることは無く話し相手は下手な英語同志、食堂車や展望車など若いときに夢のような話も実現できてよい世の中になったと実感しています。

私は戦時中を80人学級、空襲警報連発で午前午後の二部授業、エアコン扇風機も無い教室で、遠足の変わりに行軍ばかりでしたが、学校時代は一生のうちわずか今になってみると基礎教育さえ受けていればその後の努力で新知識はいくらでも得られます。
そのような生活を経験したおかげで今の生活、旅行はいつもすばらしく、どんな状態になっても臨機応変に対応できる選択種の豊富な今の旅行環境は不満はまったくありません。

私の前の世代より私の世代、更に今の世代、確実に進歩しています。
日本に不満を持つ人は外国旅行をすると如何に恵まれているかわかります。
私は今若者並に元気ですが市役所へ行くと後期高齢者としてきわめて親切な応対が感じられます。多分うるさい年寄りや不満分子も多いのでしょう。

なお不満を言う人はどんなに良くなっても不満を言います。最も不満の蓄積が進歩の源になっているのでしょうが。
一生のうちせめてハワイくらいは行きたいと昔言っていましたが、そのハワイ、韓国、台湾を残すのみになりました。

今の時期になると急降下して銃撃してきたF6F米海軍の艦上戦闘機の操縦士の顔かたちが思い出されます。
また8月14日深夜の熊谷上空の赤い空が思い出されます。

今この掲示板でばかばかしい論争をしているのが、われながら呑気だなあと感ぜずにはおられません。
私の周りでは未だ海外へ行ける人は少数派です。

トピずれにご容赦を

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    11/08/11 06:48

    Re: Re: Re: 欧州のパッケージツアーってどういうスタイルが多いのでしょう?

    EAVOさん おはようございます。

    子どもの頃戦争を体験されて、大阪にも確か終戦の1日前に空襲があった場所があったのですが・・・

    どこだったっけ?この時期になるとテレビで毎年放送されるのですが。

    >8月14日深夜の熊谷上空の赤い空が思い出されます。

    ほんとうに終戦があと1日早かったら・・・助かった命がたくさんありましたね。


    >貧乏旅行、豪華旅行、世界の果てまで色々やりましたが

    これが60歳を過ぎてからというのがすごいし、また後悔も不満もないというのもすばらしいことです。

    今ハワイにいますというご報告が聞けるのを楽しみにしていますね。

    ためになるお話いつもありがとうございます。

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    11/08/11 17:55

    Re: Re: Re: Re: 欧州のパッケージツアーってどういうスタイルが多いのでしょう?

    Isaiahさん、昔話を聞いていただきありがとうございます。
    子供に話すと嫌がります。

    しかしこうして昔のことが伝わっていくのでしょう。
    私は年寄りから日清日露くらいからの話は直接聞きました。それ以前は又聞きです。

    私が生まれたときに東郷元帥がなくなりました。戦後は未だ江戸時代生まれの有名人も何人か居ました。
    最後の殿様では有力大名で広島藩主の浅野長勲が昭和12年、木更津藩主だった林忠崇が昭和16年になくなりました。なくなる前に遺言を聞きましたら明治元年に遺言が済ませているといったそうです。

    白虎隊の真実は昭和6年に亡くなった唯一の生き残り飯沼定吉が生き証人として語っています。
    新撰組の話も幹部だった永倉新八や斉藤一が大正まで生きて色々真実がわかりました。
    それらを伝えてくれた人たちもほとんど亡くなってしまいました。

    戦後60年もたつのに8月15日が近づくと未だ新しい事実が毎年出てきますね。
    私の祖父は幕末生まれですが、私も小さかったし田舎のため残念ながら面白い話はないです。

    私はこの掲示板では最高齢?のようですが、戦後生まれの一番下の弟とは話が合いません。
    どういうわけか戦争の記憶は良く覚えています。8月15日もそうですが昭和16年12月8日の朝の我が家の情景ははっきり覚えています。

    欧州の旅行とはまったく関係がないですね、