いやあ、おもしろいです! ろっきいさん、こんばんは こんなレスをもらえるのだから、投稿してよかった。 これまでモヤモヤと感じていた英語と日本語の間の違いを言語化してもらったような気分です。 >ヨーロッパ出自の言語学では、諸族の共通祖語を仮定してそこからさまざまな言語が分岐していったと考えますね。 >日本語の場合はどうでしょうか。海流に乗って列島へ流れつく種子のようにいろいろな時代に色々な人々が海を越えてやってきた、わたしは日本語に流れ込み型の言語イメージを持っています。 上記の対比は、言語の成立過程の考え方の違いですよね。両者の説明はしっくりきますし、たしかに両者はぜんぜん違うなあ。 この違いは、言語そのものに感じていた癖とも一致して、腑に落ちましたよ。いったん全体像を仮想して、その仮想の全体像の中に実際の要素を位置づけていくという手順は、英語という言語の癖だという気がしていました。具体的には、主語と動詞を先に固定することによりセンテンスの全体像を決定し、その後ろに各要素をですね、全体像と整合する形で突っ込んでいく。これに対して日本語は、型にいろんな要素を流し込んで行く過程でジワジワと全体像を浮かび上がらせていく。 何と言いますかねえ、英語は分析的に、つまり各要素をいったん定義してからそれぞれの関係を述べたいときに強く、全体像をまるごと表現したいときに面倒な言語だ。日本語は要素を分解せずに全体像を述べるときに便利で、分析的に話したいときには面倒だ、と思っていました。思考は使う言語に引きずられるはずだから、母語が違えば、眺める世界も違うかもなあとも。 >そもそも弥生の農耕文化に関わる古い語彙は、南インドのパミル語と共通性があることは大野晋博士の研究で明らかになっています。 大野晋さんのタミル語と日本語の比較は、ずいぶん前に『日本人の神』(2001年)で目にしたことあります。農耕文化関連の単語に共通性があるとしたらたしかに重大だなと思ったものの、タミル語の単語と日本語の単語の対比表を見ても、似ているとも似ていないとも私にはわからず理解をあきらめました。本を買った理由は「神」だったこともあり。しかし、比較言語学の方法論がなんとなく分かったいまなら自分なりの判断ができるかもしれません。近く再読してみます。 『縄文語の発見』には、大野さんのタミル語研究もレビューもされていて、小泉さんは、同系であると判断できるだけのたしかな規則性ではないと書いています。他の章で、比較言語学の手法は5千年前までが限度だとの説明があり、さらに別の章で、縄文語の源流をスンダランドのオーストロネシア人の言葉に求めているんですね。比較言語学の手法ではどうにもならない昔にタミル語と日本語が分岐し、いまでは偶然ともたしかな規則性ともいえない類似がちらつく、とでもお考えだったのかもしれません。 稲作の広がりとともに稲作用語が世界の各言語に広がったが、言語そのものに影響は与えなかった、と私は考えます。現在のたとえばコンピュータ関連用語が日本語に大量に流入している状態のように。 >弥生時代になって、縄文の文化・言語は駆逐されたのか、そうではないのか ここらへんはですねえ、本当に知りたいところです。 いずれ決定打が出ますかね。 では!
夏草やさん 丁寧なお返事ありがとうございます。初めにちょっと韓国朝鮮語の話。 日本語と朝鮮語(韓国語)とは語順が共通で似た文法体系を持っていますが、語彙、音韻に共通性が少ないですよね。それでも地球上の言語の中ではやはり発想は近くの者同士という感じを受けます。音韻は有気子音、無気子音を区別し、韻尾に子音を置くことができるので、日本人より外国語を習得しやすいかな。 朝鮮語は中国に近い分、時代ごとにたくさんの漢語語彙を取り入れています。 日本語にも漢語出自の語彙は多く、中国周縁文化圏のタイ語系の言葉も同じ傾向があります。 言語学専攻の人たちは、西洋言語学の理論的な影響を強く受けています。 日本語とタミル語で農耕文化に関する語彙に共通性が見られると考えた大野晋(敬称略します)の発表は、語彙の選択が恣意的であると日本の言語学の人たちに評判が悪かったのです。 基本語彙の共通性が見られるほど、タミル語は近くありません。 大野晋は岩波の日本古典文学大系の万葉集の編集を担当する中で、上代の日本語を時間をかけて深く考察していたためにドラヴィタ語の辞書を見ていくつかの語彙の共通性に気づきましたが、上代語の人間辞書のような大野先生ならではのことだと思います。 そもそも言語比較の基本語彙を選択したスワディシュはやはり彼の母語の影響を免れていません。例えば、人称代名詞の単数複数の区別は英語にとっては大切ですが、複数形を重視しない言語も多い、とか。 それぞれの民族はそれぞれの生活や信仰の中、社会の発達度合いで、語彙使い分けの多い豊かな部分、意味を深く区別しないような語彙の使い分けの少ない部分を持っています。 インド=ヨーロッパ語族の言語比較に用いた方法をそのまま他種の言語でも利用したくなるのはわかりますが、西洋言語学の限界もまたそこにある、なんて思っています。 日本語学の先生方には優れた方がたくさんいるのだけど、いまは言語学方面の言及は少ないですね。 言葉足らずで論理と推敲が甘いですが、眠くなったのでこの辺で。
Re: 夏草やさん 非常に示唆に富む話をいたき、小泉氏と大野氏は同じことを別の言葉でいってんじゃないのかなと思ったのですが、うまく整理できず、また近いうちに。
弥生語≒クレオールタミル語≒縄文語北九州方言の変形 ろっきいさん、こんばんは 大野氏(弥生語のクレオールタミル語説)も小泉氏(縄文語の再現)も大枠では同じ道具を使って同じ結論にたどり着いているのだろうなと思ったことにつき、先延ばししたところでうまい整理法がみつかるわけでもないので、未整理なまま返事を書くことにしました。 両氏とも印欧語の分析の歴史から生まれた比較言語学という道具をその研究の手法としたことには変わりはありません。A言語とB言語の間の基本単語の対応関係の規則性を探ることにより、AB間の歴史的距離を測定するという手法。ただし、両者ともスワディシュらによる基本語彙リストをそのまま使用したわけではなく、弥生期の日本語という特殊性に合わせてリストも手法もローカライズしています。大野氏(さきほど『日本人の神』のタミル語解説の章を再読しました)は、基本単語ではなく農業関連単語や祭り関連の用語で分析を行い、小泉氏は手法を単語のみならずアクセントの分析にも広げています。 両者の最大の違いは、その前提ですよね。大野氏は、弥生期に言語のみならず世界観の大きな変容が起きたとの前提に立ってタミル語に日本語との類似に注目し、弥生期に流入した外的言語がタミル語であった証明として、タミル語の古歌と万葉集の歌の間の類似語の分析を行った。小泉氏は、縄文期と弥生期の間の連続性を前提にして、日本各地の方言に残る古語バリエーションの分析から、弥生期の日本語の変容を再現した。どちらもたいへんな労作です。 弥生期の言葉はどんなものであったのか、という点に絞った結論の違いはといえば、大野氏は、弥生語はクレオールタミル語、つまり原日本語(=縄文語)とタミル語の混合から変化した言語、であるとします。小泉氏は、北九州で使用されていた縄文方言に中国からの渡来語が影響し弥生語が完成し、それが東進し関西語の祖となったとします。 前提と注目点が違うだけで、結論は同じだなあと私には思えるのですね。弥生期に縄文語がクレオールタミル語に置換された(大野氏)、というのと、縄文語は渡来語に置換されず、縄文語の一方言たる北九州縄文語が弥生語へと成長した(小泉氏)、というのに出てくる「置換」がはっきりした白黒ではなく、濃淡だとしたら、同じに思えます。つまり、弥生語≒クレオールタミル語≒縄文語北九州方言の変形。置換があったと前提すれば、流入言語群は置換の証拠にみえ、置換なしと前提すれば、流入渡来語は租借語(≒原語になかった新概念を取り入れた)にみえるでしょう。しかし、私には同じことを別の言葉でいっているように思えます。 素人読者のアドバンテージは、本の2~3冊読んだだけで、自説を展開してしまえる気楽さにあります。そこで、私が思うに!と続けさせてください。タミル語の本拠地の南インドは、いくらなんでも遠すぎです。大野氏も可能性に触れておられるようですが、稲作の故郷である四川か雲南あたりに発生した言語が稲作+青銅器文化とともに周辺に広がったものの、発生地の言語は北から押し寄せた中原の中国語に置換され、日本列島や南インドといった辺境にしか残らなかったのだ、と考えればいいんじゃないのかな。土器に描かれた楼閣や祭りの様子も長江流域と弥生で似ているし、弥生期の環濠集落から出る歯の形が大陸系だし日本列島に広がる下戸遺伝子(長江起源)の分布とも整合するしさ、と。 日本語の発生地はどこなのかは、日本語を母語とする者として、重大な関心事です。が、しかし、そんなはっきりくっきり白黒ついた結論は出ない問いないなのだろうなあ。音は残らないんですね。再現はとんでもない難事業です。縄文期に使っていた言葉が渡来言語と混じった、というか影響を受けた?縄文語の変容とも、置換されたとも、どっちともいえない、まあ、モヤモヤが残りますが、モヤモヤを抱えたままの方が旅先の発見も多かろう、そんな風に思いました。 大野氏の考えや日本周辺国の言葉の癖を解説してくださったろっきいさん、『縄文語の発見』を紹介してくださったムーミン谷さんをはじめ、皆様のおかげで、楽しいアームチェアー旅行ができました。ありがとうございました。また何か面白きことがあれば、教えてくださると幸いです。 では!