06/07/16 01:18

介護サービス利用/将来の本人と家族のために

お元気なお母様の様子はいろいろ聞いてわかってたのに、新しい情報の印象が強くて前の情報をご破算にするような書き方したりしちゃってごめんなさい。
ただでさえネットでの対話は難しいのに、忘れっぽい年齢相手ではなお大変ね。

お母様は、私の一歩先、そして我が家の母のだいぶ後を歩いていらっしゃるようで、まだまだ趣味活動などされてお元気に自立されているようで先ずは安心ですね。

これから徐々に新しい老人力が次から次へとついてきて、周囲がご苦労する段階にさしかかるのでしょう。
でも誰もが必ず通る道・・。老人力を、自然の摂理と認めることから覚悟を決めましょう。

森光子さんや日野原先生や、特別な存在もありますが、普通は老人力がつくのを避けられず、その過程で必ず他人の(本人以外の)助けが必要になります。
その時、家族以外の他人の世話になることを受け入れられなくて皆が大変な状況に陥るという話、他人事ではありません。

我が家の場合、介護保険は2年前から利用。身体的に要介護の状態ではないので、デイサービスの利用と散歩の相手(週1)をお願いしてました。
ショートステイは今年が初めて。デイは、認知症がかる一昨年までは本人が絶対行こうとせず、ましてショートステイ利用など考えられず。認知症が強くなり、本人がようやくデイを受け入れるようになって、今回の旅行のチャンスを得たというわけです。

で強調したいのは、介護保険を含め他人の世話になることを上手に取り入れる方向で考えをすすめておくべきということです。本人のためにもも家族のためにも。

我が家の場合、介護保険利用に先立って、7~8年前から地域に設立された民間の有償福祉サービスを使い始めていました。私もその組織の会員であり、よい仲間が活動に携わっていたことから、月1回の離れの掃除、出不精だが編み物好きの母のために講師を派遣してもらって母の友人2,3人と編み物教室を開いてもらったり(=出前ミニデイサービス)。
母もやはり他人の出入りを好まなかったですが、丈夫なのに外出をしなくなった母がこのままではどういう状態になるか話し合ったり、来てくれるのは私の友人たちだからと納得させたり、当初は苦労があったけれど、その効果は母の自立生活にも、私の自由のためにも、絶大でした。
特に、この2~3年は私が困った時の大きな助けになり、他人との関りに慣れたおかげで介護保険のヘルパーの出入りもスムースにいきました。
ただこれは、信頼できる民間組織があったこと、公的な介護保険事業を担うヘルパー達の質が高い(田舎町の利点)、という環境にめぐまれていたからこそと思います。

都会ではその点が課題でしょうね。
介護保険制度や福祉分野のソフト面を含めた充実が、高齢者が自立生活を続けられるかどうか(=本人と家族の幸せ)の分岐点になると思います。


  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • 老人力

    これって、日野原先生の著書でしたっけ?てっきり、今の老人は若いので、老人の能力はバカにしたものではない、すごい力をまだまだ持っている、という意味の言葉かと思ってましたが、

    >でも誰もが必ず通る道・・。老人力を、自然の摂理と認めることから覚悟を決めましょう。

    これを読む限り、真逆だったみたいですね。
    自然の摂理とは、究極的には人はいつかは死ぬという事なら、死ぬ直前までは、良好な状態を維持できる方がいいとおもうので、諦めないでがんばってほしいとおもいますね。また諦めないという適度な負荷を本人にかけることが、脳シナプスへの良い刺激になって、むしろ、楽にぼーっと過ごして、何もわからなくないままで死ぬよりはいいとおもうんですけどね。

    友達に、こうこうで困ったよーという話をしたら、そこのお父さん、リタイヤ後に、はじめて車の免許をとり、家族の反対おしきって車を乗り回し、ついに他人の店だか家だかに突っ込んで(本人無傷)これを期に、やっと免許取り上げに成功したという。車ないと生活不便な地域だと、高齢者の自由な移動が制限される問題とあいまって、交通事故と言う事をきかない老人の関わり合いが切実みたいですね。また、お父さんは現役時代は大会社の役員で、会社の常識は十分心得ているのに、今では、その子の会社に、緊急でもない件で(元気か、とか)、しょっちゅう電話を掛けてくるから困ってる、何度言っても聞かないと。やはり、お父さんの衰えをヒシヒシ実感しているって話でした。みんな、そんなもんなのかな~?

    うちは、父が母の年齢の時は、かなりしっかりしていたので、老人ってああいうもんだと思っていたのが、比較すると母の程度が悪くて、これはどうにかがんばらせないと、と思っていたのですけど。努力してもできなかったら、それが自然の摂理なんでしょうね。でも、今の状態にて、くい止める努力するって、良いことですよね?

    思えば、父と母が大きく違う部分は、父は歴史研究が大好きで、いわば街角学者みたいな日々趣味の勉強型。母は、学はありますが勉強嫌い(本をのむのがあまり好きじゃない)で、物事すべて感覚的って部分、大きく違いますね。つまり、将来、私もその年齢まで生きているとするなら、何かテーマを見つけて、頭を鍛えていくのが、最適な自己防衛かもな、とも思いました。

    地域にいいお仲間がいらっしゃったのは、ラッキーでしたね。
    うちの母は、実年齢よりかなり若くみられるのが自慢みたいで、ああいう老人会に混じるって自体が、まるで老人でござい、といってるみたいで嫌みたい。そして、老人になると人は誰も性格が偏屈になるから老人は嫌いだ、ということで、旧知の友達でも、ここ最近になって、誰々は、年をとって性格が歪んできた、などといい、つきあいもやめてしまいました。だから、地域サークルとかを薦めてみても、どうせ嫌なやつがいる、ということで、全然やる気なしって感じです。せいぜい、行くなら、朝のラジオ体操位かな。
    いろいろアドバイスありがとうございました。





    • いいね! 0
    • コメント 1件
    06/07/17 16:18

    Re: 老人力

    赤瀬川源平という芥川賞受賞作家の造語らしいですよ。マイナスとプラスのイメージを持つ言葉の取り合わせで混乱を生じやすいけれど、やはり「老人力がつく」というのは老化現象が進むことを表す意図だったらしいです。

    >自然の摂理とは、究極的には人はいつかは死ぬという事なら、死ぬ直前までは、良好な状態を維持できる方がいいとおもうので、諦めないでがんばってほしい
    >諦めないという適度な負荷を本人にかけることが、脳シナプスへの良い刺激になって、むしろ、楽にぼーっと過ごして、何もわからなくないままで死ぬよりはいいとおもうんですけどね。

    全く同意です。現代の人間は、健康維持や老化を進めないためにいろいろ努力してますよね。その努力の甲斐あって(もちろんDNAの問題もあるでしょうが)、高齢でもしゃんとして活躍してる方たちも多くなりました。
    自分もそうありたいし親にもそうあってほしい、と賢い努力をすることはとても大事ですよね。(社会全体の健康度UPにも貢献するしね。)
    doubletreeさんのように、賢明なチョイスをしながら親を自立させようと努力する子供を持つ親は幸せだと思います。
    自力で暮らしにくくなった年寄りは施設にお任せ、という安易な風潮が気になります。老人養護施設はなかなか順番来ないから、本人はまだ自立できる(物理的に)可能性があるのに入所の手当てをしておく、らしいのです。

    どこまで良好な状態を保てるかは個人差など様々な条件によるでしょうが、いざ老人力がついてくると自力で生活するのが困難になります。その時、家族が手助けするか、家族の代わりの他人の世話になることができれば(物理的な)自立が続けられ、尊厳ある生活を保つことができるわけです。この、一人では物理的に無理だけど精神的に自立していたいという段階に進んだときの対応が問題だと思われます。この時他人の力をうまく借りれるかどうか。

    ただ、まだ福祉の分野は事業者など玉石混交で特にソフト面で信頼を置けないのが最大の問題ですね。都会ではいっそ家政婦派遣という対応が可能な方はそのほうが安心かも?

    都会の老人会や在宅ケア施設などでも、お母様が仰るような雰囲気があるんですねぇ。田舎はもちろんそうです。母が絶対行きたがらなかったし私も行きたくない。ほんとうは、「社会」に接し、身体にも精神にも適当な負荷をかけて老化を遅らせるための好適な場所のはずなんですがねえ。

    自分達だったらこういう形でサービスしてほしい、という願いを実現するために立ち上げたのが前回書いた住民組織です。NPO法人となって4年、財政面で苦労あるが自由な発想で活力ある運営をしていて、町の福祉行政にも、一般住民の福祉に対する考え方にも影響を及ぼしています。
    理念を高く維持できる自主組織が地域にできることが、福祉面では理想的なのではないかと最近思っています。母も、この組織のサービスを活用することによって98歳まで曲がりなりにも自立生活をしていました。

    すっかりトピズレになりました。最後に一応旅の話題でくくります。
    今回の旅行で何が悲しかったって、老人力を象徴するようなヘアスタイルに泣きました。トホホ・・
    適当な長さにカットして出かける予定が、母の具合が悪くなって美容院に行けず病院を駆けずり回り、その挙句キャンセル。すっかり落ち込んで近くの美容院へ行ったら、思い切りカットしてさっぱり忘れましょ、とほんとに思い切り短くしてくれました。ま、しばらくは母の介護に専念だからいいかと任せてしまったのが運の尽き。
    白髪染めをせずパーマを年2、3回かけて後はカット。いつもそういう自然スタイルです。大事な外出時には、気に入っている長さの状態から逆算してカットする程度ですんでるのでウイッグの使用も考えたことありません。
    今回ばかりは、もともと髪が薄いのにこの短さ、施設入所スタイルとでもいいましょうか。ウイッグがあったらなあと真剣に思いました。もう喉もと過ぎてますけど。
    帰国後2週間くらいからようやくお気に入りのヘアスタイルになってきて、ブラッシングするだけでボリュームも出て快適。この時期に会う友人からは、白髪頭なのにショートカットのせいか「相変わらず若いね」って言われますが、カット状況で10歳以上の落差が出てしまうのです、トホ。
    夫は、顔が童顔だから頭はそのくらいでちょうどいいといいますが。(白髪になる数年前までは連れ立っていると娘さんですかといわれてショック受けてた)。

    お母様のお若い気持ち、励まされます。お互い頑張りましょう! とお伝えください。また素敵な海外旅行のお話し聞けたら嬉しいですね。
    (今日は土砂降りなので、昼間から落ち着いてPCの前。つい長々と書いてしまい失礼しました)