Re: 普段通りですが 私は不思議に思っている事があります。 首相が靖国神社へ行ったからといって日本が軍国主義になると思っている人は日本人では少ないでしょうが、 8月15日は敗戦記念日で反省するのには良い日だと個人的には思います。 これが12月8日に行くのであれば軍国主義復活と誤解されても仕方が無いかなと考えますが、私のへそ曲がり的な考えでしょうか。 日清戦争に勝った後、列強の三国干渉で悔しがった後進国日本が臥薪嘗胆その後の日露戦争に勝ったのとは8月15日の敗戦は意味が違うと思います。 私は好んで海外では軍事博物館、民族博物館へ行きますが、私も平和が好きに決まっています。 軍事を話す人イコール戦争好きと思う人がいますが余りにも単純です。 しかし好むと好まざるにかかわらず、国の歴史はどんな平和国家でもかつては戦争や革命の歴史に違いないと思います。
トピずれですので・・・ EAVOさん、こんばんは。 この手の話は旅行とは離れてしまうので一回限定で個人的な考えを述べたいと思います。 >首相が靖国神社へ行ったからといって日本が軍国主義になると思っている人は日本人では少ないでしょうが、8月15日は敗戦記念日で反省するのには良い日だと個人的には思います。 個人的には「行く場所」の問題だと思います。 東京裁判の是非等以前に元「国家神道」という特定宗教施設に異教徒であっても有無を言わさず合祀するというのがまず問題と考えます。宗教心と言うものに関心のあまりない多くの日本人は気にしなくても、宗教心の厚い方にとってはこれは重大な問題です。 そして、これは戦前、戦中だけの問題ではありません。戦後も「自衛館靖国合祀訴訟」として憲法問題にもなったことは有名な話です。 「戦争で犠牲になった方にお参りをしたい、でも宗教的理由でいけない」と言う方もいらっしゃることでしょう。また過去の国家神道のあり方などから参拝に抵抗のある方もいるでしょう。 過去の体裁にこだわったり、日本遺族会の票欲しさに「私は参拝をしてますよ!」とアピールしたがる某党の政治家たち。そういう人たちが無宗教の国家的な戦没者慰霊施設の建設を妨げて、政教分離の問題を引きづり続けているのではないでしょうか。結果「戦没者追悼=靖国参拝、それならいきたくない」という一般の人もいるのではないでしょうか。少なくとも過去の軍国主義的なものをイデオロギー的に嫌っている人は。その人たちだって、戦没者を憎んでいるのではないでしょうから、靖国以外であれば祈りをささげられると思うのです。 国民の代表がこそこそ参拝するなどというのは変。毎年少なくとも815にはそういった施設で犠牲者への追悼と不戦の誓いを行うべき。もちろん国民、国家の象徴である天皇も参加して。 他の宗教団体が母体の某与党がもし首相を輩出したら靖国に参拝できるでしょうか?それこそ、その人物の信仰の自由を侵害することになります。熱心なクリスチャンや仏教徒などが首相のときなども同様です。 靖国でそういった式典をすべきだと言う方には是非天皇も815に参拝するようにすべきでしょう。でも天皇ご自身が「問題」と考えているから武道館にしかいけないのでは?国民、国家の象徴が犠牲者への追悼をできないような場所は国家的追悼施設としてふさわしくないと考えます。 (もちろん、靖国は靖国として一宗教団体として存続することは問題なし)
Re: トピずれですので・・・ 私が不思議に思ったのは8月15日と言う日のことだけです。 14日は良くて15日は駄目と言うのが不思議に思っただけです。 行く行かないは長引くので議論するつもりはありません。 15日は勝った日ではなく負けた日なので逆に反省するのには良いかなと単純に思いました。 旧陸軍記念日も勝った記念でした。 これは冗談ですが戦後一時イタリアは信用できないので今度はドイツと日本だけでやろうと言う話もありました。 勿論本気ではありません。 イタリアは第一次第二次とも早く降伏しました。もっとも第一次では日独は日英の義理で敵同士でしたが。 ちなみに私は多くの日本人と同じく宗教心は余りありません。しかし無神論者というほどでもなく習慣としてはやっています。 ただ旅行する場合、史跡としての興味はイスラム、キリスト、仏教、神道どにかかわらずあります。 国の歴史は戦争の歴史でもあり宗教の歴史でもあります。天皇は神道かと思えば聖徳太子は仏教振興だったですね。 皇后陛下は元キリスト教だったと思います。大平首相もキリスト教徒でしたが伊勢神宮へ参拝しました。 後もう一つ不思議に思うことがあります。 忠霊塔などへの役所の出費は違憲だと訴訟を起こした人がいますが、 宗教系の学校はキリスト、仏教、PL,神道、新興宗教などあらゆる宗教に及んでいますが補助金に対して国が干渉すると 言わないのはどうしてなのかなと思います。 もしそれが駄目となったら多くの学校がつぶれてしまうかと思います。 一昨日もお通夜に行きご霊前の袋を持ってゆきましたが、キリスト教だと前夜祭でお花代だったか忘れましたが、 余り宗教に神経質になると頭が混乱してしまいます。 スンニ派とシーア派と敵対したり、カソリックとプロテスタントといがみ合ったりしていますが、 日本にも新興宗教はかなり過激なのもありますが、普通は何宗でもそんなに気にすることは外国に比べると少ないような気がします。 そういういい加減なところが日本が発展した原因の一つかと思いました。 私の家でもある時は南無阿弥陀仏、ある時は南無妙法蓮華経だったり雇われ坊主が来ますが余り気にしません。 単なる儀式習慣だと思っている罰あたりです。 へそ曲がりの私はお経と演説は短ければ短いほど有難いと思っています。 サウジアラビアのジェッダ港へ寄航した時に仕事の最中に座り込んでメッカのほうを拝んでいる人がいましたが、 そんな事をやっているから発展しないと思いました。 不思議に思うことを並べただけで一方的ですみません。 議論したら限がありませんが、私は宗教に対してはいい加減ですから、 反論があっても傍観しています。