私は、2008年1月~2月にかけて、インドのバナラシに滞在した。
2007年3月に、ネパールのカーカルビッタから、タクシーで、インドのダージリンに行き、2か月ほど滞在した後、飛行機で、コルカタへ行き、2泊して、また、飛行機で、南インドのバンガロールへ行き、1,2か月滞在して、また、タクシーで、マイソールへ行った。マイソールにも、1,2か月滞在した。観光ビザが、6か月間有効なので、9月に、また、ネパールの首都カトマンズに、飛行機で行った。カトマンズのインド大使館で、再び、インドの観光ビザ(6か月間有効)を取得し、インドのデリーに飛んだ。
デリーから、ゴアへ飛び、10月、11月を、バガビーチで過ごした。それから、北インドへ向かい、デリー、アーグラー、カジュラホ―、と旅し、2008年1月には、バックパッカーの聖地バナラシに到着した。
バナラシには、ガンジス川がある。日本人観光客も多く、無数のゲストハウスが建っていた。
私は、はじめ、ベンがリートラから離れたところにあるゲストハウスに泊まっていた(1泊350ルピー、約1050円)が、トラブルがあり、ベンガリートラにほど近いゲストハウスに移った。1泊400ルピー(約1200円)の部屋で、水シャワー、トイレ、大ベッドひとつがあった。最上階で、4階か5階だった。その上は、レストランになっていて、開け放した窓からは、夜遅くまで、西洋人たちが、笑い騒ぐ声が聞こえた。
同じゲストハウスの同じ階に、日本人女性が、ひとりで泊っていた。40才くらいだろうか。あちらは、道路に面した部屋で、バスルーム無し。壁には、棚があって、文庫本がたくさん並んでいた。
「3か月前から泊っている」
と言っていた。
私の部屋の隣は、廊下に面した側にしか、窓がない部屋で、日本人の若いアベックが泊まっていた。
ホテルマネジャーが、私に、そっちの部屋と替わるよう求めたが、私は、断った。そのアベックは、しばらくして、いなくなった。いつのまにか、日本人の30代くらいの男一人が泊まっていた。
(続く)