1635年、森本右近太夫一房という日本人が書き記した「落書き」について >>最終的には、旅行者の気持ちの問題になるかと思いますが、 >>旅行者たちは果たして、落書きだらけの建物や芸術を >>残していきたいかどうか、ということです。 みどりのくつしたさんも書かれていましたが、 たしかに、アンコール・ワットの十字回廊には、 1635年、森本右近太夫一房という日本人が書き記した 「落書き」が今でも残っていますよね。 しっかりと証拠品が残っていますが、 現在、日本人は、歴史的意味合いを持つと評価し、 私に同行したアンコールワットのガイドもこの落書きを紹介しました。 落書きを消しに行こうかと思ったが、 仕事が立込んでいけない状況のK28さん、 これについては、どういった見解をお持ちですか? 勿論、皆さんのご意見も聞きたいです。
大聖堂の落書き行為を批判するだけの者は、ただ無知なだけです。 法律で禁じられているから落書きした者を罰する。 文化遺産や自然遺産など一時は保護されるが、 どうしたって、どうあがいたって、 人類が生存している限りこの「落書き行為」は続くではありませんか? 掲示板に書かれた意見を走り読みしました。 不正義な落書き行為に、憤りを感じ、 何も出来ないでいる無力な自分たちに対し、 抑えきれぬ怒りを持て余し、メディアと一緒になって、 落書きした者を許すことが出来ないでいる。 私も含めて、ほとんどの人は世界遺産の保護や 宗教のために生きてなどいません。 自分と家族の幸福のために生きています。 それが、大聖堂のハートマークの落書きなどにあらわれています。 私は、世界が不条理なものだということを知っています。 中国では、15歳の女の子が強姦され殺害され、 その抗議デモのため、公安局に火を付けたと新聞で連日報じられていますね。 何と惨い(むごい)ことかと思っても、私自身の日常は変わりません。 大聖堂の落書き行為を批判するだけの者は、ただ無知なだけです。
「批判」がうずまく世界がお嫌であれば・・・ 「批判」がうずまく世界がお嫌であれば 何があっても批判なんか起きないところに行かれたらどうですか? 無人島とか、北朝鮮とか、いろいろありますよ・・・ 「批判」を批判しているのも批判じゃないですかね? いろいろな批判がうずまく世界に住んでいる以上 そんなことを言い出すのも大いなる無知でしょうね。 逆に「批判」は今やある程度のパワーをもつ時代だと自分は思いますけどね。落書き問題などに関しては、批判がある程度、再発防止に役立つ部分もあると思いませんか? 中国で起きていることも、中国で行なわれた非道なことを隠蔽しようとすることに対して、批判する声がまったくない世界より、ある世界のほうがいいと思いませんか? 不条理なことがあったとしても、何の批判も起きない世界がいいのでしょうか? 世界で不条理なことがいっぱいあることくらい誰でも知ってますよ。 そのことと、今回の落書き批判のことを、ムリヤリ結びつけて議論されても、説得性を感じません。