Re: そもそも五輪とは・・・

「そもそも現在の五輪とは」について実態をご存知の方は一般人にはほとんどいませんから、「昔の五輪」についてのイメージでしか理解できないのも仕方がない面もあるでしょう。
なぜ東京なのかは、「多額のあがりが確実に期待できるから」でしょう。

日本が候補地に手を上げてくれたのはIOCとその後ろにある勢力からすれば大歓迎だった訳で、これには「国連」という錦の御旗さえあれば多国籍軍やら国境監視団やら難民支援等もろもろのお金のかかる活動にいくらでもふんだくれるという成算と実績があります。
「儲かる」という点では、実のところ法律や社会構造の面では先進国よりも発展途上国の方が大きいと期待できそうなので、本来であればイスタンブールのように五輪を契機に国家(あるいは都市)発展を目論んでいる方が有利なわけでして、それは前回の東京にもある意味では共通しているところでしょう。ただし、デモやら金融不安で、怪しくなってしまいました。
もっとも前回の東京は冒頭に書いた「五輪の経済モデル」が異なっているので、儲かると言う視点はなかったでしょう。当時のモデルでは五輪開催の経費が少なくなるという点で東京開催は五輪側は「助かった」と思っていたことでしょう。
五輪が儲かるビジネスに転換したのは、皆さんご存知のロサンゼルス大会です。
参照
http://extras.jp.msn.com/news2011/commentary/datafile.aspx?cp-documentid=6073857
(東京オリンピックの開催費に関しても書かれています。)

私はめーじむらさんのおっしゃるアテネでの恒久開催には反対というか、上でも書いたような事柄により無理だと思います。
五輪の経済モデルは、予想外にお金を出す人がいないと動きません。
一発当ててやろうという山師が必要です。そうでなければ日本のような保険あるいは金蔓が欠かせません。
テレビ放映の点では、アテネで深夜早朝に競技をしなければアメリカの夜に生で見られないでしょうし。

五輪には経済効果がありますし、持続的な発展に寄与する面もありますが、儲かったお金がどこに行くかをきちんと管理、監視できなければ、このたびの東京の場合は、震災復興に寄与することができないばかりか、足を引っ張ることばかりにもなりかねませんね。
乱暴な言い方で極端にわかりやすく言えば、毎年夏に開催されるテレビ局のイベントと同じで、誰も反対できないテーマのもとで庶民の善意が吸い上げられて、裏で誰かが儲けると言う構図があるわけです。だからあれは毎年続けているのでしょうし、五輪に立候補する都市が後を絶たないのでしょう。
開催する競技もお金になるものに変わって(入れ替わって)行くのです。

マドリードも有力だと思っていましたが、パリの2024年立候補で身内につぶされたのではないかとにらんでいます。20年マドリードより、24年パリの方が確実に儲かるということで。

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1件のコメント

  • Re: Re: そもそも五輪とは・・・

    Ice-Cubeさん、その節は大変お世話になりました。

    > 私はめーじむらさんのおっしゃるアテネでの恒久開催には反対というか、上でも書いたような事柄により無理だと思います。
    > 五輪の経済モデルは、予想外にお金を出す人がいないと動きません。
    > 一発当ててやろうという山師が必要です。
    おっしゃる通りだと思います。
    確か、ソルトレークシティでの五輪では「ビジネス丸出し」って感じですごく不快感を覚えた記憶があります。

    確かにIce-Cubeさんがおっしゃるのが現実だと思います。
    でも、私は純粋なるスポーツを別の目的で利用してもらいたくないと「頑固」に思う次第であります。

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    そもそもスポーツとは

    外の方がきなくさいですが(笑)、「そもそもスポーツとは」という話につながると思います。
    日本人は非常に科学的な教育を受けて、論理的、自然科学的に理想的な状態を目指すことが正しいと社会的にかなり広く同意が取られている、非常に珍しい社会です。
    こちらの掲示板の参加者はほとんどの方が世界を旅していることで、そうではない社会を目になされていることと思います。

    しかしながら、伝統的な文化の面においては、非科学的なこだわりを堅持しているという面があります。日本人はそれを精神世界と称して、精神世界の範囲内であれば科学的な常識は通用しなくてもよいと考える人が多いと感じています。(たとえばスピリチュアル)
    武道とスポーツの対比については、多く語られているのでここでは触れませんし、私見もこちらの掲示板ではあまり述べないようにしておりますが、クーベルタン氏のお話が日本人にはえらく気に入られてしまった結果、現在の五輪に対して日本人の多くが描くイメージが、理想的な精神的肉体的な頂上を目指す競技大会と位置づけられることにもなっているのだと思います。

    残念ながら、国際的な競技を開催する段において、スポーツには純粋なるものが存在しえない現代社会においては、現実とは何かを認識しないことには、なかなか国際的に物事を進めることはできないのですね。
    プレゼンテーションにフランス語が堪能な方を採用し、その際のポーズもハリウッド映画に見られるようなものだったりと、今回の招致活動には「世界の現実を受け入れた」ものが数多くあったように思います。

    招致活動では日本の美徳を訴えておりましたが、そうもいかないだろうと思います。
    東京にいるのは善良な日本人ばかりではなく、諸外国の政情、経済状況が悪化すれば、その影響をもろに受けますからね。
    その他にも自然災害に対する懸念が払拭できませんので、五輪期間は特に東京都心には近付きたくないですね。(笑)