少し訂正

青木峠は明治時代に中信と東信を結ぶ路線として設計・整備されたもので、道路の勾配はちゃんと計算されたもののようです。読み返したら「それ以前の道」というのが意味不明ですね。「明治期からある道は」に訂正します。

蛇足ですが、明治時代、中央本線や篠ノ井線が開通するまでは松本の人は舟で東京に向かったという話を聞いたことがあります。

女鳥羽川から犀川の久米地橋まで船、その先は川の難所で舟は行けず、歩いて信越本線の駅に向かい、信越本線の汽車で上京したものです。

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1件のコメント

  • 蛇足の訂正

    久米地橋 ⇒ 久米路橋 ですね。

    平成の町村合併で現在は長野市信州新町。グーグル検索で画像を見るときれいですよ。

    それから、明治の昔、久米路橋から歩いて出た信越本線の駅は篠ノ井駅だったようです。

    長野県人でないので、間違い多く申し訳ありません。

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    退会ユーザ @*******
    15/05/05 18:59

    いろいろとありがとうございます。目からうろこの情報で!

    和田宿から丸子ー上田へデレそうなので、...
    余裕があれば、別所温泉ででも足を休めて、再び中仙道に挑戦しようかとも考えています。

    今日は、昼飯も歩き食いで、むさ宿から鳥居本まで25KMぐらい6時間30分ぐらい歩けました。少し調子が出てきました。

    今後ともよろしく

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