医者だった可能性が高そうですね

http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2006_05_02.htm

成功を祈る!

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1件のコメント

  • 残念 字化けしていますね

    その氏名で検索すると出てきます

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    医者じゃない!

    さすけねえさんの引用されたページに書かれているのは、

    6世紀の欽明朝に天皇の要請によって百済王が日本に派遣した医師の中に見える
    医博士の王有陵陀(おううりょうだ)と採薬師の潘量豊丁有陀(はんりょうぶちょうだ)は、
    それぞれ中世ペルシャ語の「ワイ・アヤーリード」「ボリヤワーデン・アヤード」の漢字表記であり、
    ペルシャ人医師と推測される。
    8世紀に来日した李密翳(りみつえい、私が清通のオヤジと推測した人)は医師とする意見もあるが、
    翳は楽士を意味するので医師ではない、

    ということです。

    前にも書きましたが、木簡に記載されていた波斯清通の肩書は大学寮の員外大属ですから、
    あまたいた下級官人の一人で、特別な職能、専門知識によって朝廷に雇われていた官人ではありません。

    私がさすけねえさんがトピックにした木簡をみて思い出したのは、
    17世紀にローマに派遣された、有名な仙台藩支倉常長に率いられた慶長遣欧使節のお話です。
    派遣された数名の日本人は日本に帰国せず、現地に留まったようで、
    使節団が欧州上陸地点のスペイン南部の港町には、
    その末裔と推測されるJAPON(ハポン)姓をもつスペイン人が、約650人存在するそうです。

    http://www.bell.jp/pancho/k_diary-10/2014_03_03.htm

    時代も出身国も土着した国も異なる外国人が、出身国名の現地語

    「波斯・はし=ペルシャ」
    「JAPON」

    を姓として使用している点が、面白いなあと感じました。




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