07/09/10 20:02

懐かしい話題ですね

>①黄色い紙の意味
>②金銭要求の有無(要求の際はいくらぐらい払うのか)

昔はそんなことありましたね。
他にもサーズの頃はわけの分からない薬にお金を払うように請求もされたようです。

黄色い紙・薬、
どっちもお金集めの手段だったです。
現在はどちらもありませんよ。

6~7年程前は国境を越えただけだったのでしょうか。
あの当時の国境~シェムリアップの道路知っていれば現在の道路が快適に思えてきます。
現在初めて通る人には悪い道だって言ってますね。
わたしから言わせれば昔を知っているので今の道は快適な道です。

国境周辺も泥だらけのでこぼこだったのが今は綺麗に舗装されています。
たぶん浦島太郎になった気になるかもしれませんよ。


  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • Re: 懐かしい話題ですね

    co.jp さん

    質問への回答、そしてサーズのころの情報まで詳しくありがとうございます。

    どうやら黄色い紙などはかなり昔の事になってしまっていたんですね^^;

    自分でもいつごろ行ってたんだろう??とおもいパスポートを見直してしまいました。1999~2001年にかけて年1回ほどいってたようです。記憶が曖昧になる年月だなぁって改めておもいました。

    あの道路もかなりきれいになったと人づてでは聞いていましたが、かなりきれいになったようですね。なんだか寂しい気もします。そしてどれだけ綺麗になっているのかも楽しみの一つになりました。

    本当に貴重な情報ありがとうございました!!

    • いいね! 0
    • コメント 1件
    07/09/10 23:05

    Re^2: 1999~2001年 懐かしい思い出話でも

    たしかアランヤプラテート(ポイペット)の国境が外国人に解放されたのが1998年の初旬(確か2月?)

    1999年に行ったというなら当時はインターネットもなく口コミだけの情報ですな(情報ノート)。
    その当時に陸路国境超えしていたなら今の情報が氾濫している中での国境超えは簡単すぎて・・・。

    国境が開いて数年はビザも国境では取れなくて苦労しましたね。
    ルンビニ公園横のカンボジア大使館に朝行って昼受け取り。
    ビザも今のような綺麗なシールタイプではなくて、擦り切れたゴム台で押したスタンプタイプでした。


    あ、最後に。
    道が綺麗になったと言っても昔に比べてかなり良くなっているだけです。
    やはり初めてこの道を通る日本人にしたら最悪の道なのかもしれません。
    現在は乾季に道を直して雨季に壊れて、また乾季に直して雨季に壊れて
    の繰り返しで若干ずつ道が良くなってきてはいます。
    雨季の一番道が悪い時に通行すると今でもそれなりに大変です。

    乾季の一番道がいい状態なら国境からシェムリアップまで2時間で着く事もあります。

    楽しい旅行を (^o^)丿