Re: 埃及 (エジプトの漢字名) そういえば <ホコリがオヨブ>と読むと なんとも絶妙な当て字?ではござんせんか。 なお かの大先輩の後につづいて小生がかの地に立ちおよんだのは スエズ動乱の後でござんした。 イギリス NO! フランス NO!。 JAPAN BEST。 TO-MO-DA-CHI,YA-SU-I-YO。 もっとも乗ったのは AF。 エビアン水の缶詰が出てきてお土産にした覚えがあります。 それも往路の分。 パリ経由で泊まったのが シャンゼリゼのクラリッジ・・・今は無し、鳥かご型のエレベータが懐かしい思い出です。 で本題にもどると あのころはツーリストクラスでもみんな親切だったし、食事もおいしかった・・・。 えっ、まあふだんロクナモノを食っていなかったんですが・・。 なんか大昔のオハナシをしているミタイでやんすね。
ツーリストクラス エコノミークラス ぼうふらおぢさま、はっつさん、思わずスエズ動乱の埃ならぬ、 レバノン紛争で、ドキドキしている旅クマです。いや~、さすがに あの方面に出かける予定はありませんが、貨物がちゃんと飛んで 来るかどうか、心配です。 スエズ動乱って、既に50年前の出来事なんですね。 となると、これは「ぼうふら紅顔の美青年時代」の思い出ですか? 確か、故ナセル大統領の時代でしたっけ?対するのは、故ジスカンデール 大統領だったような気がするな~? その頃のツーリストクラス=現在のビジネスクラス になるんですよね? いつだか話題になった、「航空会社の四角いバッグ」を思い出します。 ぼうふらおぢさま、エビアン水缶と航空会社バッグを、 『お宝発見』に出してみたらどうでしょう?
脱線・・・って飛行機でもいうのかな スエズ動乱が50年前といわれて そんなこたあナカンベと思っておりやんしたが そのちょっと手前で・・・。 うーんたしかにまだまだ若いぼうふらでござんした。 紅顔というより厚顔ならぬ人見知りのオニイチャンでした。 この頃はまだ座席は ファーストとツーリストの2クラスでした。乗ったのはボーイング707。エコノミークラスの誕生は ジャンボ機が飛んでからで 馬鹿でかい機材を切り売りするのにでっち上げたお席のようです。 エビアンの缶詰はなんとピンクの小さめのシャケ缶風で3食出てくるので・・・ということはそれだけ時間がかかった、たしか20時間くらいだったような・・・アンカレッジでうどんを食べて。 そうそう 帰りはなぜか ファーストクラスに乗せてくれました。 いまだに不思議です。 テヘラン上空でキャビアが出ました。 何しろ新米社員・・・の初出張ですので。 お隣の立派なオジサン紳士が私の素性に興味を持って・・・まあ当たり前ですが、学生か・・と。 広報担当の会社員と答えると ナットクしてくれて励ましてくれたのを覚えています。 えっ どうして行けたんだ・・・というと実はベテラン課長が急病で、他の人は海外を嫌がって私におっつけた・・・と。 航空バッグはいまだに大収集家がいるみたいです。 私は一つももってないんです。 ちなみに ファーストクラスはこの後は米国内のインチキ?ファーストクラスが何回かあるだけです。
埃及、砂漠を連想したのは私だけ? 一番安いチケットと云って探して、成田から私一人、あとクルーだけ、 貨物便の帰りか、と思いました。 そんな時もありました。 その時カイロ行きなのだと始めて知りました。 食事は忘れましたが、やはり大昔のオハナシ。(ミタイじゃないです)