Re^3: 若者が海外に出なくなったのは 発見の旅でなく確認の旅になっている。雑誌でもテレビでもネットでも世界中が紹介されているから、大体どんな場所かどんなものか、なんてことは皆わかっている。それをリアルタイムに体験し追認する作業になってきているところに旅行の限界があるように思います。だから、娯楽体験型の旅行は変わらなくても、物見遊山型の旅行はワザワザ見にいかなくてもいいのかも知れない。この事実に対する、メディアの利用度が若者のほうが高いので、そのリアクションが大きい、ということかも知れませんね。
この辺からは雑感ですが・・・ どこかかから突っ込まれるのを覚悟で なんとなく感じていることを付け加えると・・・、 この頃の若い人は・・・まあ定番のフリですが、何かにつけて感動する事が少ないようなきがしているのです。 まあオジサン(オジイサンとは感動する場所が違うこともあるとはおもいますが) 例えば 北極海の氷の連なりとか、シベリアの広がりとか 、 ロッキーの山並みの連なり・・などでも なんとなくフーンという感じです。 そのわりにつまらない事でも 感動した!とは口走りますが。 もっともこの辺はちょっと前の人騒がせのソーリ大臣もいっしょですが。 自分で感動する場所を探すのではなくて 他人が感動した場所を確認する方が 彼らの旅のパターンなのかも知れません。 まあそれだけ近頃は そこに到達するのが簡単になっただけ 達成感が少なくなった事も多少は関係しているかも・・・。 日本人の若い世代から付和雷同性が抜けたのなら喜ぶべき事かもしれませんが どうもそんなことではなさそうですね。
Re: この辺からは雑感ですが・・・ トピずれになるかと思いますが、お許し下さい。 青年のことがメインのトピではありますが、子供(小学生)も凄い事になっています。 先日、濡れ落葉マークの同輩連と然るアミューズメント施設へ行きました。 偶々小学校高学年と思しき団体の一部と遭遇、私達の一人から「どこから来たの」 と声を掛けると、そのうちの一人が当人をじっと見て「何か付いているよ」と言い放って 歩き去った。 昼食後で、唇元に小さな飯粒が付いていたのを指摘したのだが、この反応には驚いた、 指摘された当人も苦笑い。 なにか子供らしさが無い、時々このような無機質な反応に出会って驚き、いやな感じがする。 (対話が成立しない。) 東南アジア諸国(暑い国々)の子供達と何かが違う、まるでロボットのような感情の無い (喜怒哀楽を素直に表現できない・他人と素直に言葉を交わせない)子供達、家に放火した・ 父親を殺した、などの事件が続発するのもわかる気がする。 このような「大人コドモ」が成人し、社会の中核となった時の日本を想像すると背筋に冷たいものが走る。 「見よ東海の」を斉唱した年代の在庫一掃もそう遠くは無いとは思うが、荒涼たる未来の日本社会を 見ないだけマシかも知れないと思った。