1990年ごろはまだユースホステルは力があったかもしれない。でもみんなの目は海外へ。 1990年以前の学生の卒業旅行は、ヨーロッパと決まってました。 ユーレイルパスを使って、鉄道旅行をして、ユースホステルに泊まる。 また、米国旅行は、グレイハウンドに乗りまくって、各地のユースに泊まる。 ただ、日本のユースはだんだん人気がなくなって、 普通の若者はユースに泊まることはなくなりましたね。 僕が東京都ユースホステル協会で、 2回世界旅行の講演をやったときも、 結局、海外旅行でしかみんな興味がなかったみたいです。 「中南米・国境の越え方」の海外旅行講演 http://www.midokutsu.com/japan/lecture.htm ただ僕の講演(あまりに面白かったので)以降、面白いネタが見つからず、 旅行関係の講演自体がなくなりました。 このころは、世界旅行者協会自体、 ユースホステル新聞で会員を募集してました。 だから、ユースホステル新聞も、ある程度の影響力があったんですけどね。 (その2)
ユースホステル(協会)が、インターネットに乗り遅れた。 僕はパソコン通信をやっているときから、次はインターネットだと考えてました。 それで、1998年に自分のサイトを立ち上げました。 この時代は、ホームページを作って、ちょっと面白いことを書いてさえいれば、簡単に名前が売れました(笑)。 そこで、東京都ユースホステル協会も、サイトを作ろうと考えたらしく、僕も、行って話をしました。 僕は、東京都ユースホステル協会独自でも、世界旅行のサイトを立ち上げて、掲示板をたくさん作れば、人が集まると思ったのですが、(多分そのころは金がかかったので)立ち消えになりました。 このときに、ユースホステル協会が、海外旅行サイトを作って力を入れていれば、海外旅行掲示板の中心はユースホステル協会のものになってたでしょうね。 ただ、ユースホステル協会という立場だと、掲示板運営についても、文句がいろいろ出てきて、結局、潰れたでしょうけれど。 今のユースホステル協会のサイト自体、あまりわかりやすくないです。 まず、協会のサイトを根本的に、わかりやすく、再構成したほうがいいです。 でもその気力も、おそらくないでしょう。 (その3)
「ユースホステル運動」も理念もなくなって、オタクの住みかとなる一部ユースホステル。 世の中なんでも流行というものがある。 例えばスキーとか、登山なんかね。 でも、スキーも登山も、いまは若者は離れてしまった。 今でもやっているのは、若い時に思い切り出来なかった、中高年だけだ。 ユースホステルは、もともとは「若者のための安宿」ではなくて、 ユースホステル運動だったんだよ。 そこには理念があって、若者を旅と旅での出会いの中で、 精神的にも肉体的にも鍛えようという精神があった。 ところが、どこでも、ある運動は腐ってくるわけだ。 最初は、日本人の若者は人と知り合う場がないと声もかけられないくらいシャイだったから、ミーテイィングが出来た。 ところが、ミーティングにはまってしまうオタクがでてきたわけだ(笑)。 ミーティングで女を口説こうというのもでてきたし、 さらには、 女を口説くためにユースをやり始めたペアレントもいたとかいないとか(笑)。 だから、普通の人間は、ユースから離れていった。 ところが、歳をとっても若い時のユースの夢から覚めない時代遅れの連中は、一部ユースに巣くって、ユースオタクになってしまったとか。 これでは、普通のまともな人間は、日本のユースなんかには泊まらない。 日本のユースは、根本的に改革の必要がある。 でも、そんな金にもならないこと、誰もやりはしないわけだよ。 日本のユースはそれぞれ独立して、 バックパッカーズ連盟みたいな、 新しい組織を作って、 一括的に、安宿のネット予約が出来るようにすべきだ。 その一部に、現在のユースホステルも入ればいい。 運営がダメなところは、ネットの噂によって淘汰されるだろうからね。 そういう自由化が出来ないならば、このまま日本のユースは滅びていくだろう。 (その4)