3月9日の朝、マリアナ諸島は快晴。
接近雲量10分の1。
グアム~東京2400km、ナビゲーションOK。
火災発生用ナパーム弾3700発。
煙硝促進用収束焼夷弾8500発、
それは空中で分解し、40万発の小型焼夷弾となる。
4籍の潜水艦、3籍の巡洋艦、2機の水利艦が
救助体制に着いた。
サイパン、テニアン、グアムのそれぞれの基地より
ボーイングB-29、 325機が配置についた。
午後5時35分、グアム基地より314飛行師団の一番機が離陸を開始。
離陸間隔45秒。
継いでサイパン、テニアン両基地より271機が離陸を開始。
全325機が離陸を終えるのに要した時間、2時間45分。
先頭編隊が、東京上空に到達するのは3月10日午前0時前後になる。
9日午後11時。九十九里海岸上空高度4000mより
時速370km/hで侵入。
爆撃命令書にはこうある。
73飛行団及び313飛行団は、4機のB-29が房総半島の沖合いで、1時間半にわたる8の字旋廻に入る。
各2機を先発させ、房総半島の沖合いの4地点で主力部隊の到着を電波にて誘導せよ。
電波に乗って到着した主力部隊を、次々と東京上空へ誘導。
東京湾を低空で侵入するB-29は、あらかじめ配置されたレーダー写真どおりに飛行する。
そして、午前0時7分。
先頭集団のパイロット、マーチング大佐の証言によれば、
日本軍の迎撃高射砲のほとんどは皇居上空に集中し、
あえて超低空を飛ぶB-29のはるか上空で炸裂した。
住民が逃げられないよう、まずは都内上空、円を描くように爆撃を開始。
焼夷弾による火の手は、強い北風に煽られたちまち火災は拡がった。
*参照資料:NHK特集 東京大空襲、他
その後の詳細につきましては、祖母からの話は聞いていますが、あまりにも生なましいので、ひかえさせていただきます。
わたくしのご先祖様も、当時江東区深川に住んでおり、
家族のほとんど(祖母と祖母の兄以外)は犠牲に
なりました。
私達が今こうして、気軽に海外旅行へ行く事が出来るのも、そのような無意味であるも大きな意味を持つ時代があったからだと、本当に改めて思います。
板違いかもしれませんが、
この場をおかりしましてご冥福と哀悼の意を深く表したいと思います。同時に二度と繰り返すことのない平和の世国でありますことを、心よりお祈り申し上げます。
大統領