待遇 悪いかも・・・ Blue 3さん こんばんわ そうか・・・古来日本では、日本海側が玄関だったのですね。 勉強になりました。 欧州に種牡蠣を送り出した、宮城さんの碑がある、宮城県石巻市ですが 伊達政宗が遣欧使節団を送り出したのも、この地です。 送り出した・・といいますか この周辺の地は かなりの有名人を送り返しています。 1 清少納言のお父さんの単身赴任地 「京に戻りたい」とぼやいていた!! 2 西行法師 「西行 戻しの松」といわれる旧跡あり http://minwa.blog37.fc2.com/blog-entry-71.html 3 松尾芭蕉 念願の松島へ来たけども 俳句が読めず・・・ 他にも、魯迅・島崎藤村・ 胸に一物を持って宮城を後にした人も多いかも~ 楽天の野村監督も・・ならぶかも ああ 宮城県・・・
宮城を後にして のりーたさん、こんにちは。昨日は朝から多忙で、レスが遅くなってすみません。 なかなか味わいのあるコメントをありがとうございます。 一例に出された西行法師は、添付された民話にあるように、僧籍に入る前は (北面の武士)で、確か白州正子も西行についての本を出していましたね。 西行は、祖先が藤原鎌足という裕福な武士の家に生まれ、若くして父の後を継ぎ、 その後、皇室の警護をする院直属の名誉ある精鋭部隊「北面の武士」(一般の 武士と違って官位があった)に選ばれました。その同僚には確か(平 清盛)が いたかな? 文武両道の西行は、血筋の良さもあって明るい未来が約束されていましたが、 そのラッキーな人生を捨てて出家。理由は色々とあったようですが、短く言うと (煩悩に苦しんだ)と言ってよいでしょう。そして、特定の宗派に属さず、地位や 名声も求めず、ただ山里の庵で自己と向き合い、和歌を通して(悟り)に至ろう としました。「歌は即ち如来(仏)の真の姿なり、されば一首詠んでは一体の 仏像を彫り上げる思い、秘密の真言を唱える思いだ」と。 尚、平泉を本拠地とする奥州藤原氏は西行の親戚筋で、その旅すがら立ち寄った 鎌倉で源 頼朝に「流鏑馬」の技法を口伝したとか。やはり武家の棟梁を前にして、 僧籍とはいえ(昔、北面の武士だった)誇りがあったのでしょう。鎌倉ではその 翌年から「流鏑馬」の行事が始まったそうです。 さて、心を清らかにし、煩悩を鎮める…と書くのは簡単ですが、煩悩を刺激する 要素は世の中に無限にあり、それを打ち消すことなどできません。従って、西行は 山里や真言霊場・高野山にこもったのでしょう。 尚、のりーたさんは「子煩悩」でしょうが、その煩悩は鎮める必要はありませんね。