Re: 僕が入国審査官ならこうするやろね

日本人の日本帰国で絶対入国拒否されんから、皆気にせえへんけど、日本だって同じようなことをしてまっせ。
旅券もあり、ビサもありでも、入国が保証されてる訳ではありませんがな。こいつ気にくわねぇなーと感じたら、イチャモンは何でもつけて入国拒否できるのが審査官の特権ですがな。それに抗議したらもっとえげつない処罰が待ってまっせ。そやから、イチャモンつけられんようにせなあかんがな。わだわだ遠い日本まできたのに入国拒否されて泣き泣き帰っていくアメリカ人も一杯いるんやから。何も日本とアメリカだけやおまへん。世界中の国がやってまんがな。わても中国まで行ったのに反共思想やからと入れてもらえんかった。
パスポートに無条件でハンコ押すだけが仕事やったら、入国審査官なんていらへんやん。わてが入国審査官やったら、男同士で手をつないだり、キスしてるヤツはイチャモンつけてやるやけど。エイズをばら撒く危険人物とかで。
それから、NO VISAで入国拒否になったら、乗せてきたヒコーキ会社が元の場所に戻す費用を負担やから、旅券に落書きがあったら、乗せたらへんとなるんやけど。VISAありやったら、入国拒否した国が払わなアカンからあまり無茶なことはせんけど。
最近、ESTAの番号のイチャモンで送りかえらされているのが多いから、領事館はみんな気つけてや、とゆう親心でんがな。大使館や領事館の外務省派遣の外交官はずば抜けて頭がええ人ばっかりやで。次から次にくるアホな日本の政治家を怒らせんように苦労してはるんや。

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    11/12/05 14:49

    君の論理って無茶苦茶ですな。

    それが事実なら、それは尋常の外交関係ではなくて、暴力団の抗争ですね。

    さらにその事実を当然とするような倫理観の欠如が貴方にはあるようですね。
    そんな論理は時代遅れで、今や、民間企業人でさえ許されない倫理観のゆがみを感じさせられます。

    更には、その倫理欠如でもって国民を眺め、見事に、国民をないがしろにした発言になっています。
    恐らく、それが当たり前って、頭が染められてるんでしょうが、それは官僚独自の考え方でしょう。

    通常、そのような状況を、もっと公正な状況に改善しようとするのがまともな方法ですが、改善しようとする意識は全く無く、むしろ現状を放置して、公正ならざる状況で生じる負担を国民だけに負わせることを当然として、官僚は外交官特権やその他の特権に守られているから良し、と現状を放置しているだけです。

    残念ながら、日本の外交官はまともではなく、まともであれば、
    「あほな国民に親ごころで言ってるだけ」などとは発言しないでしょうし、「大使館や領事館の外務省派遣の外交官はずば抜けて頭がええ人ばっかりやで。次から次にくるアホな日本の政治家を怒らせんように苦労してはるんや」などと傲慢な発言は、無いでしょう。

    多分、普段からそう思っているので、ぽろっと出てしまうのでしょうね。
    官僚全体の思考過程が良く出た投稿で、日本の官僚機構の危うさを考えさせられます。

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    Re: 無茶苦茶ですな。

    春ゼミさん、こんにちわ!
    わての仕事、外交官と思ってるんでっか?まあ、電気も水道もない、自転車で走れる道もないとこで、原始人と変わらんような生活しているオッさんから、一挙に花の外交官なんて、もの凄い出世でんがな、おおきに。今まで土人っこの先生ぐらいが御褒美のお言葉やったのに。
    わて、人様から時間を決められるのが大キライで、高校も出席日数が足らんで卒業させてもらえんところ、やさしい先生の水増し出席でどうにか卒業させてもらいました。同級生306人中の304番の成績で。1964年、あの頃はやっていたヒッピーにあこがれてサンフランシスコに行ったけど、商業化されているヤツばっかりだったので、歩いてドンドン南に下がり、国境も越え英語からスペイン語に変わったのは分ったけど、地図なしで海辺の何にもない砂漠を20キロの水をしょって4日も歩いて水も半分になり、戻ろうと思ったときに背の高いオッさんに出会い、メシも食わせてもらい、掘っ立て小屋も作ってもらい、背高のっぽの集落で共同生活でさせてもろうて使った金はみごと0ドル、稼いだ金も0ドル。とにかく、自然に逆らわず、おごからず、自然と会話する技を覚えました。
    何かあまりにも長居しすぎたので、その集落と別れることに。また砂漠を3日歩いたら、KINOという文明化された漁村に着き、2年も同じところにいたのにビックリしたで。それに、あの集落で覚えた言葉がここでは何も通じへん。スペイン語でなかったのを思い知らされた。それで、あのノッポのオッさんて誰やろ、と調べ始めたけどコンカック人でどこにも出てけえへん。毎年、コンカックの村に3-4ヶ月行っては、単語をメモったり、鉛筆でスケッチしたり、残りは大学や図書館通いで15年。それで、分かったのが1582年に絶滅していたいうセリ民族で言葉も世界でも独特な語祖であるセリ語らしいと。民俗学や言語学の専門家と集落を訪れ、セリ人でセリ語と確認されたのは1985年や。

    その経緯を話したのを、きれいな英語の文章に書き換えて800ページもの本を作ってくれて、それがまだ売れているのか毎年かなりの印税をもらってる。それが、生活資金。本の売れ行きが落ちてくると、講演会とかして売り上げ協力。

    今でも年最低3ヶ月はセリ村行き、3ヶ月はこんな好き勝ってなことをさせてくれる女房に感謝の意味で金のかかる贅沢旅行。残りは大学に行ったり、研究室に閉じこもったりで、孫と遊んだり、好きなことをさせてもろうています。

    セリ民族って、500年以上外界と閉ざし、1000年も前と同じ生活・文化を送ってるんや。時代の最先端をいく民俗学のどこの博物館より、もっと迫力がある。

    外交官らしい衣装の背広にネクタイ、黒い革靴なんか5年くらい前の息子の結婚式が最後やがな。それでも、まだ、わてが外交官やて言われますんか? 自称、自然を愛するバック・パックの大先輩でんがな。来年また、20キロの水と20キロに荷物背中にしょって40度以上の砂漠に出かけてきます。春ゼミさん、一緒に行きまへんか?期間はたった2-3ヶ月やけど。