勉強になります 私が産まれる以前の事にはとても興味があり、「歴史」 を学ぶのは大好きです。「アンカレッジ経由」これ 子供の頃よく聞きました。パスポートが1回$500 $1=¥360時代の450円「闇ドル」初めて聞いた ことで面白いお話でした。 最近はNHKの大河ドラマが好きで来年放送の「八重の桜」 を楽しみにしており、橋田壽賀子さん原作で、在米国日系人 をテーマにしたTVドラマ「JAPANESE AMERICAN」や ブラジル移民をテーマにしたTVドラマ「ハルとナツ」を見て 昔の日本人の姿を知りました。 これからも、面白いお話があれば「旅のレポート」 として是非読ませて頂きたいです。 ありがとうございました
アンカレッジ経由 私が初めて外国に行ったのは西ドイツでしたが、その時からアンカレッジ経由だったのを覚えています。 ヨーロッパ、北米東海岸、南米行きは全部アンカレッジ経由だったので大変繁盛していましたね。 日本航空の南米行きがアンカレッジ、ニューヨーク、サンファンを経由してリオデジャネイロ行きだった事。 日本人移民が圧倒的に多いサンパウロになったのは大分あとの事でした。 後に出来た日本航空のサンパウロ行きはDC-8でしたが、ロサンゼルスからマイアミを経由してサンパウロ、 そのサンパウロも現在のグアルーリョスではなく、新サンパウロ空港として建設されたヴィラコッポスでした。 サンパウロから100km内陸のカンピーナスに建設された為、大都市ではない原っぱに着陸でした。 グアルーリョスが出来てからは貨物便専用空港になってましたが、最近は新興航空会社のAZULの本拠地に。 AZULの社長はブラジル人で、米国のジェットブルーの創設者でもあります。 日本の海外旅行促進計画のテンミリオン計画でしたか1000万人を海外旅行に! という元年にVARIG航空でサンパウロに向かう時、成田空港は大混雑で足の踏み場もないほど、 だけどサンパウロ・コンゴーニャス空港に到着したのは喧騒が嘘の様なたった10人、 懐かしいバックパッカー時代の思い出です。 そのVARIG航空の日本発最終便に約束通りファーストクラスでサンパウロまで行けて良かった。 太平洋と大西洋、2つの海を越えるのはVARIGと決めていましたから。 でも、倒産してしまった。 当時のVARIGグッズを沢山持ってるので思い出だけ健在ですが。 南米移民船は、あるぜんちな丸、ぶらじる丸、あふりか丸、らぷらた丸、などが主流でしたね。 今でも同船者同士の結託は凄いですもの。 神戸に在る海外移住と文化の交流センター(旧神戸移住センター)に資料が展示されています。 http://www.kobe-center.jp/index.html ここの建物も数年前までは凄く恐ろしい感じでしたが整備されて博物館風に。 ここから鯉川筋を真っ直ぐ下りたところから最初の移民船「かさと丸」は出港したのだとか。 メリケンパークにモニュメントが残されています。 ブラジルからの観光ツアーはメリケンパークには来ますけど移住センターはスルーです。 自分の先祖の苦しみを知らない方が親切だとかで。 移民の歴史は沢山勉強したけど、日本とブラジル、どちらが暮らし易いか? 日本は生まれ育った国で別段努力も必要ないけどなんとなく生きて行ける。 ブラジルは言葉も生活様式も全然違うので飛び込むにしても努力が必要、 でも気楽に生きれるのは圧倒的にブラジルに軍配が上がるので、 気が付けば私もブラジル移民になってました。 まだ行ったり来たりフラフラしてますけど。
懐かしいですね 西ドイツ、今となっては懐かしく聞こえますね 昔から地図と時刻表を見るのが好きでして 日本からロス、日本からNYの飛行時間が 2時間ほどしか変わらない、間違えだろう と思って調べてみると、北周り、ああなるほどな そう思ったのを覚えています。 10年程前、何かの記事で読んだのですが「ボワッチ」 人種の壁が低く、日本人でも楽しく遊べるパラダイス なんだかそんな事が書かれており、一時期ブラジル行き を真剣に検討していました。結局、治安が悪いとの事で 断念しましたが... 小学生の修学旅行で行った伊勢、そのコースにブラジル丸 見学が入っていました。移民船はブラジル丸のみだと思って いました >今でも同船者同士の結託は凄いですもの。 これって派閥みたいになってるのですか? 私が5年間住んでいたハワイにも日系人が多く、白人のアメリカ人が ハワイは日系人が力を持っているので、白人はやりにくいとぼやいて いました。日系人の中でも○○県人会などと細分化されていて、争う ことはありませんがグループを形成していましたね 私が日本でお世話になっていた業界は、現在青息吐息です 大手は巨額の赤字を計上しており、この先どうなることやら 現在は日本を離れ、タイで暮らしておりますが、 気楽に生きれるのは圧倒的にタイに軍配が上がるので、 気が付けば私もタイ移民になってました(^^)
Re: アンカレッジ経由 私の初めての海外は、モスクワでワンストップ(給油?)、パリ乗り継ぎのアフリカでした。当時、ソ連上空フライト時は「窓を閉めて、下を見てはいけません!」とJAL乗務員に言われました。またモスクワの2Fのトランジットルームで下の一般乗客のいるエリアを見たら、マシンガンを持った兵士が警備をしていました。今はこんなところ無いでしょうね。帰りは、アンカレッジ経由でしたので、初アメリカはアンカレッジ! 今夏、ヘルシンキに飛んだ時、最短距離は中国上空を飛んで一直線!と思っていましたが、帰ってからハンディーGPSの軌跡を見たら、日本から北上、中国の領土上空を避けてかなり大回りをして飛んでいました。「下を見るな!」が有ったが、「上空を飛ぶな!」も有るのかなと ふと思った。