前もっての準備がしやすくなりましたよね むうにゃんさん、改めましてこんばんは。 コメントをありがとうございます。 >「英語ができない人」にも個人旅行は勿論可能だとは思いますが、ただ、やはりそれには前もっての準備が必要 本当にそうですね。また昔(といっても20年くらい?)に比べるとネットのおかげで、格段に前もっての準備がしやすくなりましたよね! 例にあげてくださった宿ひとつ取っても、以前は日本にいて情報が得られるホテルは限られていましたし、そのホテルと連絡を取るのだって大変でした。恐怖の国際電話で予約の可否を問い合わせる・・・ぶるるっ。 今は予約サイトなどを見つつ、予算や好みのエリア(駅の近くだとか旧市街の中だとか)やクチコミを見ながら、落ち着いて考え候補をしぼり、宿泊日の空室をチェックできて、そのまま予約も入れられる。 なんてありがたい。 >「ホテルは現地の観光案内所で紹介してもらうのがベター」とのツッコミ 今日は(新暦だけど)八朔ですので、燃え尽きておられるんじゃないでしょうか。 昔は飛び込みで宿を決めたり、案内所で紹介してもらったこともありましたが、私のようなものに取っては結構ストレスでした。 今は個人旅行がとてもしやすくなったなと思います。 ありがたいです。 そういえば私は未だ「紙くずになりやすい鉄道の早割りサービス」を利用したことがないのです。こちらも便利かつお得そうですので、いずれ体験してみたいと思います。 ありがとうございました。
追って書き。 cokemomoさん すみませんが二つ。 ひとつは、元の書き込みにつけようと思っていましたのに、枝につけてしまったこと。 見苦しくさせてしまって申し訳ないです。 それと、お一人ずつお返事、たいへんそうなので、私の書き込み、べつにたいそうな意見でもないので、スルーでけっこうですよ~と書こうと思って忘れて送信してしまいました。 それでは、また!
ありがとうございます&あぁ、まとまらない ときどきClioさん、おはようございます。 コメントをありがとうございます。 そして、いつもながら優しいお気遣いもありがとうございます。 暑さのせいか(そんなバカな)、虫の居所のせいか、ここ最近事情に迫られて英語と格闘していたせいか、 いつもなら「まただよ」と読み流すようなことに突っかかってしまいました。 でもおかげで、みなさまからいろいろなお話もうかがえたのでよかったかなという気持ちです。 旅行って基本的に楽しみたくてすることだと思うのです。 いつか夏草屋さんがお書きになっていましたが「旅」というといきなり迷子感が出ますし、仕事や余儀ない事情で出かける場合は旅行とはいわない。その楽しい話の相談をしているのに、相手をなめてかかり切って捨てるようなコメントをつけるのがどうにも違和感があって不快で。じゃぁほっておけばいいのにと思うのです・・・まぁポチとミケさんにご指摘いただいたように私自身もつっかかってしまいましたけど。 「英語すらできないなら」「教育を受けていながら・・・」個人旅行はムリというような言い方をしなくても他に言いようがあるだろう、と。 でもtukishimaさんのコメントを拝見して、自分は気にしすぎてるだけかと振り返ったり。 いつもながら結論めいたものはないのですが、考えました! >いざというとき、言葉が出来ないために、ときに命に関わることも万、万が一はあるかもしれない、という覚悟だけは持っています。 >不安やしどろもどろを乗り越えても、旅行は楽し! そうだなぁと深く納得して頷いています。 ところで・・こちらもまとまりません、ごめんなさい。 そもそもちょっとテーマが私の手におえるものではなかったし(^^;) やはり「おいしいバターはここにある」「一人ご飯(夕食)のときに新聞や雑誌はサービスされるのか」などをやり取りするのが楽しくていいです。次回はそのようなトピでお目にかかれますように。 ありがとうございました。
どれぐらい出来たら、ある言葉を「話せる」と言えるのか......?? ......の判断基準って、なかなか難しいですよね。 cokemomoさん、こんにちは☆ あの、スペインのトピック、私も見ていました。 あの、トピックを立てられた方が、「英語は話せません」と書かれた真意、というか、その後ろの事実がどの程度のものか......あの質問だけからはわかりませんものね。 少なくとも中学校まで、たいていの場合は高校まで英語を習っているのが普通ですから、特別な事情の方でない限り、文字どおり「全然話せない」ということはあり得ず、経験がない、という程度のことかな?..... となれば、旅行に支障はない、というお答えになるでしょうし、額面通り受け取れば、やはりちょっとしんどいかも?という答えもあり得るでしょうね。 実際に、私の友人で、英語が(もちろん、ほかの外国語も)できないので、絶対に海外には出ない、というひとがいます。(むろん、ちゃんと高校まで英語をやった人です。) また、英語のよく出来る別の友人は、アメリカか英国にしか行かないです。フランスやドイツは言葉が通じないからイヤなんですって。 ふ~む。 いつも、片言の現地語と、脳みその奥深くから引っ張り出した英語の記憶の断片でやりくりしている私としては、返す言葉がない......... とは言え、「話せない」にもいろいろあって、「話せる」ということを、どの程度のレベルに考えて、自分と比べているかにもよるところが大きいように思います。 例えば、家人は、仕事柄、単語数はそれなり知っていると思うのですが、読み書きはともかく、一般的な日常会話は不得手です。 また、仕事上では、もう少し込み入った複雑なことを、より正確に話さなければなりませんから、もっと困難を感じるようなんですよね。 だから、彼は「自分は英語が出来ない」と表現します。 基準を、通り一遍旅行で困らない程度においていれば、数か国語、ときには10か国語以上も、「出来る」、と表現する場合もあるでしょうし、それぞれの国の大学の講義が受けられるぐらいでなくては「出来る」と言わないひともいるかもしれません。 でも、私は、一番大きな要素は、性格、というか、別のところにあるように思います。 以前、エジンバラの空港で搭乗を待っていたときのこと。 ちょうど、エジンバラ・フェスティヴァルの期間で、おそらく何かのパフォーマンスをしたらしい日本グループの一行が近くでやはり搭乗を待っていました。 そこへ、同じようなアジア系のグループが「この便で帰るの?」みたいな感じで話しかけてきて、そのあと、搭乗まであれやこれや実に楽しそうに会話がはずんでいました、もちろん英語で。 聴いていると、そんなにたいした単語は使っていない。 けれど、相手の言うことを聴きとって、こちらも伝えたいことをちゃんと相手に伝えて、ときに冗談をはさんで笑い声が起こる、ほんとうに羨ましいと思って見ていました。 こういうのは、おそらく場数、経験と、性格とかでしょうかしらねえ。 ~ところで、私は、「英語(もちろんほかの外国語も含めて)はできない」けれど、これまでのところ、ひとりで、無事に行って帰ってきています。 ですから、英語がさほどできなくても旅行は出来る、に基本的には同意します。 ただ、私は、いつも頭の片隅に、いざというとき、言葉が出来ないために、ときに命に関わることも万、万が一はあるかもしれない、という覚悟だけは持っています。 何を大げさな、と言われるかたもあるでしょうけれども。 言葉が出来なくて不安だ、というかたに、自分のことを顧みれば安請け合いは出来ないです、やはりそれなりに不自由な思いをしていますから。 しかし、そうした不安やしどろもどろを乗り越えても、旅行は楽し! そう思うかどうか、ではないでしょうか。 あれれ、何だか論旨不明瞭なしまらない内容に....... これにてとんずらをば~☆_☆ ☆追伸:ろっきいさんの、あれ、「まずいですよ」、あはは、実はも、何か不法な何かをしようとしているひとへの忠告かと思ってました! 言葉は難しいですね!