うーん、かなり強烈な体験ですね ほかの関連レスも読みました。 かなり特異な個性の人に出会ってしまったようですね。 いろいろなとらえ方があるようですが、私は、ぼんたろうさんが判断したとおり、 「強烈な個性の宿り木オバサンに、若くて人が良さそうに見えたぼんたろうさんが、与しやすしととりつかれてしまった」 ということだと思います。 臆病になるのもわかるけれど、今は、そういう人もいるんだという心の準備もできたわけだし、そうは甘く見られないだけの貫禄も出てきたろうし、そう神経質にならなくてもいいんじゃないかしら。 どこまで面倒を見るか。 口を出した以上とことん面倒を見る、という意見は、ひとつの生き方として立派ですが、普通の人にはなかなかできませんよね。 私は、自分が気持ちよくできる範囲でいいと思っています。 (というか、それしかできない。) なんでこんな人のために、私がこんな思いをしなくちゃならないのよお、という気持ちになったらやりすぎ。 ちょっと時間が無駄になったけれど、喜んでもらえたから、いいかあ、なら、お互いハッピーですよね。 お互い様ですから、と笑っていえる範囲で助け合う、ではいけないのかしら。 もちろん、時には、「ごめんなさい、これが私の限界です」と告げなければならない場合もあるだろうけれど。 でもそれだって、まだその方が、初めから「私はどうせ最後まで面倒見切れませんから」といって、顔を背けて立ち去るのよりはいいと思うんですけれどねえ。
「自分が気持ちよくできる範囲」にまったく同感です 「日本人なら日本人を助けるべきだ。」というのは建前としてはすばらしいけれど、本当のところ「自分が気持ちよくできる範囲」でしか助けることはできないと思います。 経験を積んだり、年齢を重ねたりすると、余裕ができてその範囲が広がるのではないでしょうか。 ららさらまさんのご意見を読んで、私はもう少し自分の範囲を広げてみてもいいかな、と思いました。