退会ユーザ @*******
06/03/30 10:14

うーん、かなり強烈な体験ですね

 ほかの関連レスも読みました。
 かなり特異な個性の人に出会ってしまったようですね。

 いろいろなとらえ方があるようですが、私は、ぼんたろうさんが判断したとおり、
「強烈な個性の宿り木オバサンに、若くて人が良さそうに見えたぼんたろうさんが、与しやすしととりつかれてしまった」
ということだと思います。

 臆病になるのもわかるけれど、今は、そういう人もいるんだという心の準備もできたわけだし、そうは甘く見られないだけの貫禄も出てきたろうし、そう神経質にならなくてもいいんじゃないかしら。


 どこまで面倒を見るか。
 口を出した以上とことん面倒を見る、という意見は、ひとつの生き方として立派ですが、普通の人にはなかなかできませんよね。

 私は、自分が気持ちよくできる範囲でいいと思っています。
(というか、それしかできない。)

 なんでこんな人のために、私がこんな思いをしなくちゃならないのよお、という気持ちになったらやりすぎ。
 ちょっと時間が無駄になったけれど、喜んでもらえたから、いいかあ、なら、お互いハッピーですよね。

 お互い様ですから、と笑っていえる範囲で助け合う、ではいけないのかしら。
 もちろん、時には、「ごめんなさい、これが私の限界です」と告げなければならない場合もあるだろうけれど。
 でもそれだって、まだその方が、初めから「私はどうせ最後まで面倒見切れませんから」といって、顔を背けて立ち去るのよりはいいと思うんですけれどねえ。

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1件のコメント

  • 「自分が気持ちよくできる範囲」にまったく同感です

    「日本人なら日本人を助けるべきだ。」というのは建前としてはすばらしいけれど、本当のところ「自分が気持ちよくできる範囲」でしか助けることはできないと思います。

    経験を積んだり、年齢を重ねたりすると、余裕ができてその範囲が広がるのではないでしょうか。

    ららさらまさんのご意見を読んで、私はもう少し自分の範囲を広げてみてもいいかな、と思いました。

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