この他にも探す手立て・・・ こんにちわ さすけねーさん 久しぶりです。私の父親も約4年、バイカル湖付近で抑留され、寒い収容所生活だったそうです。 本題に、タマゴ2さんのおっしゃる通り、まずそこが良いと思います。(住所・TELは間違いありません。補足として九段第二勧業ビル2階です) 出来ればお父様の所属部隊名(例:第8師団、第88連隊、第3大隊、第1中隊、第1小隊まで分かれば素晴らしい)と当時の階級程度が分かれば、おおよその収容先の見当はつくと思われます。 そして、今年の7月にシベリア慰霊訪問を実施しており、沿海州、アムール、イルクーツク、カザフスタン、ウズベキスタン、モンゴルなどに班割をし訪問したようです。 父と参加予定でしたが、本人の体調が優れなかったことと現地は今年の猛暑で道路もぬかるみ、歩行も困難な場所だということで、査証取得時点であきらめました。 あと、もうひとつは、独立行政法人 平和祈念事業特別基金が、下記住所にあり、数年前に資料を求めてオフィスまで行き、収容所の資料などを求めたところ、見せることはできるがコピーはだめと言われた、地図に収容師団名と都市名が記載されたA3版位のペーパーがありました。 これも、一つの手掛かりになるのでは? 〒163-0231 新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル31階 ここに併せて平和祈念展示資料館があり、抑留者を乗せて舞鶴港を往復した船も展示されていました。 以上です。では、健闘を祈る。さすけねーさんのコピーm(_ _)m
Re: この他にも探す手立て・・・ ponntanさん、ありがとうございます。 さすけねえの親父も舞鶴に帰還したそうです。 階級は終戦時は中尉(もうすぐ大尉というところ)で、舞鶴に上陸したときは大尉の名簿上はなっていた(本人はポツダム大尉だと、あくまでも階級は中尉だったと話していました)そうです。 所属部隊名は分かりませんが、「連隊」はわかりますし、終戦時の居た場所も分かります。 なんとか、たどってみます。
Re: Re: この他にも探す手立て・・・ 早々の返信どうも。 はい、連隊名が分かれば、たどれると思います。ガンバ 健闘を祈る。 M(_ _)M 失礼しました。