シベリア抑留者60万人の一人だったのですね。 さすけねえさん、こんにちは。 お父さんがシベリア抑留者だったのですか。 6万人がシベリアの地の寒さと飢えで亡くなったようですね。 今回、イルクーツク、ハバロフスク、ウラジオストクと巡り ますので、どこかの日本人墓地にはお参りしたいと 思っています。 YOU TUBEで当時の抑留者の話を聴くと、その惨状は想像を 絶するものだったようですね。お父さんもフラッシュバックに 苦しめられたのでしょうね。ある抑留者の方が、シベリアの地 からカザフスタンに移送されて助かったと言われていました。 抑留者の中にも運不運があったのでしょうね。
4年半後に舞鶴港に帰ってきたときに日本が見えたとみんなで涙したそうです。 その時に現金100円?を支給されて「数年間寝て暮らせと敗戦の日本が支給した」とおもったけれど、そのすぐ後にたばこを買ってその値段で驚き、ふるさとまで(鉄道切符は支給)帰れるかと不安になった額だったそうです。
シベリア抑留者の合い言葉は、「ダモイ」 シベリア抑留の歴史は、生存者も90才を超えこれから だんだんと忘れ去られるでしょう。でも、決して風化させては ならないと思います。シベリアを観光で訪れる時も、 心の片隅に止めておきます。 「ダモイ」を願って異郷の地に眠る日本人。この頃、 日本に一番近いヨーロッパということで脚光を浴びている シベリア。たくさんの同胞が訪れるようになって、喜んで いることでしょう。