航空運賃だけで¥124,000でした。 40年前に大阪-マニラ-シンガポール-クアラルンプール-ペナン-クアラルンプール-バンコク-プノンペン-シェムリアプ-プノンペン-香港-台北-大阪の航空運賃は¥124,000でした。 今思うと、当時の物価(物価でないですが、大卒の初任給は¥25,000程度でした。)と比べると大変な航空運賃(勿論、Yクラス)でした。
いまの100万円くらいでしょうね 今でこそ、東南アジアは気軽に割安に訪れることができる場所ですが 当時は、一般の人にはなかなか行けないところだったのがうなずけます。 このころ、政府から奨学金をもらって プノンペンに留学している日本人も何人かいたようですね。 日本は急速に発展していた時期かと推測しますが それでもまだ日本より進んでいる地域もあったのでしょうね。 このころは、バンコクからプノンペンまで、 鉄道が走っていたのかと。 でも、今からまた40年したら、 また違う世界になっているのでしょうね。 また初任給の5倍くらい払わないと東南アジアに行けない状況になってたりして。
昔懐かしい当時のパスポート K28さん、おはようございます。 物価の異なる国への出張、駐在ですが、出張手当はその国の物価に合わせて貰えるようですね。 私達も1$=¥360の時代にUSAに出張したことがありますが、桁外れの手当てが出ました。 最近はUSAと変わらない物価となってきたので寧ろ国内出張の方が・・・? 1968年、東南アジア旅行で使用したパスポートを今でも書棚に保存していますが、 当時は、マレーシア、タイ、中華民国でビザが必要でした。 この時、カンボディアでは不要と聞いていたのでビザを取りませんでした。 バンコクからベトナム航空に乗る時、オーバブッキングに遭い、私達がビザなしなので乗せないと言う騒ぎになりましたが、何とか乗れました。 (当時ベトナム戦争の真っ只中でしたのでUSAからの家族がサイゴンへ行くのでこの飛行機を利用していて私達をはじき出そうとしていました。) プノンペンでは、ビザが必要とのことで、一時入国を拒否されましたが何とか粘りがちで入国できました。 パスポートは1回限り有効で、パスポート内には渡航費用に関する証明と言う頁があって、両替に関する許可若しくは承認等を記述し、日本からの持ち出し金額US$500が限度でした。 それ以外に、ビザの頁に携帯輸出金額¥20,000(最高額)が伊丹空港で出国前に口答で申告して、係員から記帳されました。 この時、各国の出入国で押されているスタンプは非常に丁寧に順番に押されていました。今とは大違いですね。 昔の旅行は航空券が旅行費用の大半を占めていたので、今のようにカードやTC,その他がなくてもUS$500もあれば旅行できたのですね。