タニやのおねえちゃんのその後

マンジン様

タニヤのお姉ちゃん、たしかチュウレンが「プー」さんは、色白で特別美人じゃないけれど、
サロンにはとても似合わないほど控えめで、でもよく気がついて、ああ、こんな子が息子の嫁にいいなあとおもいながら見ていました。
友人も、彼女はいい娘だわと言っていました。

しばらくして、店のママにあったので「プーさんは元気」と聞くと、「あの娘は25歳になったので、
田舎に帰って結婚しました。あの娘は5年の契約で来てました」とのことでした。
その店で「チイママ」(小さいママ)と呼ばれていた女性は、田舎に子供がいて親が見ているそうだし、夫はタクシーの運転手だそうです。

そういう普通っぽい女性は、だまされたり、崩れたりしないですよね。

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1件のコメント

  • ある日本人駐在員とタイ女性の話

    ラファエルさん、こんばんは。

    夜の世界で働く人にもいろんな人生がありますよね。バンコクに出稼ぎに来ている人と仲良くなって、田舎に行くとそこにはタイの原風景が。私はタイの心は農村にあると思っています。

    友人に、お姉さんがタニアで働いていた女性がいます。私はその女性とチェンマイで知り合いました。(私の友人の友人)。日系企業の所長さんのミアノイ(わかりますよね?)さんでした。その男性がお姉さんのお店(ノーオフ店)の常連さんでお姉さんのことが好きで通いつめていました。

    しかしその時、お姉さんにはタニヤ管轄の警察官をしている恋人がいました。彼がとてもいい人だったので、お姉さんは正直に恋人がいることを告げて、「私の妹が彼氏がいないので会ってみますか?」ということで紹介。(初デートはグループでパタヤ)

    自分が駄目だから妹を紹介というのもタイだなーとは思いますが、彼女もコンピュータ会社に勤めているので普通に交際をスタート(不倫ですが・・・)。仲良くなって聞いた話ですが、「日本人とつきあえばお母さんを楽にしてあげあられるという気持ちも正直ありました」とのことでした。

    海外を次々と転任していた彼と奥さんの関係は冷え切っていました。タイバーツ危機で早期退職した彼には帰る場所もなく、彼女の2番目のお姉さんの住む、ピサヌロークに家を建てて彼女と暮らしました。彼女名義の家と車、ちいさなお菓子工房を建てて。

    お酒の好きだった彼は、やがて肝臓を患って入院。市内でいちばんの私立病院の個室。奥さんに退職金もすべて渡してしまった彼。もう、回復の見込みはない長期入院。

    チェンマイ時代の日本人会の友人が心配して

    「Tさん、もう公立の病院に移しな、あんた一生この借金を払うことになるよ」

    彼女は

    「それでもいい、おとうちゃんに一日でも長く生きて欲しい」

    ときっぱりと返事したそうです。


    その駐在員さんは私のタイの”お師匠”さん。私のコンドの上階に住み、いつもお酒を飲んでは

    「マンジン君、人様の国で遊ばせてもらったり、稼がせてもらっているという気持ちを忘れたらあかんよ」

    と教えてもらいました。

    結局、それからは長くは生きることができなかった彼。後から考えれば自分が長いことはないことを知っていたように思います。だから彼女の生活の基盤を整えたのだと思います。

    一年後、ピサヌロークを訪ねて、今でも遺骨を散骨できずにお寺に預けているTさんと彼お名前を彫った柱の前で手を合わせ、ふたりで泣きました。

    国は違っても立場は違っても、最後は気持ち。こんな恋もタイにはありました。

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    Re: ある日本人駐在員とタイ女性の話

    マンジンさん

    なかなか無い話ですよね。
    大半は日本人が騙されるのですが、お師匠さんは良い女性と出会えましたね。
    一度お会いしたいです。

    長政