OCCUPIED JAPAN 40-50年前、実家の柱にかかっていた掛時計に MADE IN OCCUPIED JAPAN と標示されていました。 占領下の日本製とでも訳すのでしょうか たぶん昭和25年頃の製造で SEIKOSHAと書かれていたような気もするのですが 当時はまだ「服部時計店」だったのでしょうか。 あるいは松下とPanasonicのように ブランド名だったのかも分かりません。 1週間巻きの時計で振り子と30分毎の時報の 2つのねじまきは私の仕事だったのですが 母が捨てたのかいつの間にかなくなってしまいました。
松下とPanasonic 松下とNational とすべきでした Panasonic は以前は 海外向けブランドだったので
商標も色々あったような(松下) 家電が丸いNationalで、乾電池関係が矢印っだった?、30~40年前のお話しです。
MAIDE IN OCCUPIED JAPAN タイ国鉄さん 占領下の日本では輸出用の品物には全部この表示がされていました。 進駐軍(占領軍と呼ぶべきですがなぜかこう呼んでました)の食べたあとの缶詰の空き缶で作ったブリキのオモチャが大量にアメリカに輸出されましたが これらにも全部この印字がされました。 安かろう悪るかろう・・すぐコワレルのイメージでした。 SEIKOSHA は 服部時計店の製造部門としてすでに評判は確立していました。 たしか朝鮮戦争が始まると当時の北朝鮮軍、中国人民軍が夜襲をもっぱらにするので 夜光塗料を塗った腕時計が大量に必要でその特需で精工舎やシチズンが 戦後の荒廃を切り抜けたとか・・・。 戦後かなり早くから服部時計店は銀座4丁目(昔の人は尾張町の交差点と・・・いえ私は知りませんが)のカドの時計塔で有名で 時計メイカーとしては 諏訪の精工舎・・いやここは 第2精工舎だったかな、としてもう名をなしていました。 戦争中のゼロ戦などの時計・・・人呼んで飛行時計・・にも SEIKO と あったような。 このへんは 多分 EAVO 先輩の縄張りのはず。
Re: MAIDE IN OCCUPIED JAPAN 私の日本海軍航空隊の腕時計は2~3年前に通信販売で買った中国製の複製品です。 それにはメーカー名は書いてありません。単に海軍航空隊 1930となっています。 従兄弟が陸軍少年飛行兵なので今度行ったら確かめて見ます。
Re: MAIDE IN OCCUPIED JAPAN ぼうふらおじさん さん と書くとなにか変な感じですが、初めまして。 特にスイスに関しての造詣の深さに感嘆しています。 レスありがとうございました。 うろ覚えのSEIKOの謎が解けました。 あの時計があったら今頃は値打ちがあったのになぁ と悔やまれます。 高値で売れるとか、そんな下世話なことではなく 我が家の歴史や子供たちの教材として。 先日、日本アカデミー賞を総なめにした 「3丁目の夕日」を観ましたが、昭和33年の時代設定で 子供の頃を思い出し懐かしさを覚えましたが、 ぼうふらおじさんはもう少し上の世代なのですね。 幼稚園へ入る前、伊丹空港の近くに住んでおり 進駐軍のカマボコ兵舎が立ち並んでいて 母の話によると乳母車に乗った私や弟に米兵がチョコレートを くれたそうです。うっすらとしか記憶にありませんが。