一つだけ 夏草やさんのご意見はいつもすんなりと頭に・胸に入ってきます。 今回も結論部分は若干異なる考え方も出来るのではないかと思えるのですが、夏草やさんのお考えもまた一つと極めて曖昧日本人的無口な微笑みでごまかして、ただ 教養=知識というのは違うのではないかと思います。 特にこの掲示板を訪れるようになってから、その思いは強いです。 では Alles gute!
無教養 おはようございます たしかに、教養=知識、ではないですね。 産経の「読書をしないと教養も身につかない」との言説に違和感をもったのが投稿の動機だったのですが、「教養」が何を意味する単語なのかをよく知らないまま書いたものだから、意味不明な文章になってしまいました。 活字の本を読むことと教養って何か関係があるのだろか、ないのでは? そもそも教養ってなんだろう。 考えても埒が明かないので(笑)、辞書を引きます。 『大辞林』によりますと、教養とは、 (名)スル (1)おしえそだてること。「父は其子を―するの勤労を免かれ/民約論{徳}」 (2)社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。「―を身につける」 (3)〔{英}culture;ドイツBildung〕単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために学び養われる学問や芸術など。 おお、辞書を引いてよかった! (3)を知りませんでした。 cultureやBildungが教養を意味していた、と。驚きました。ふつう知っているものだろうか。なるほど、そうですか、知らなかったのは私だけですか。我ながら無教養なことでした(今は意味が分かって「教養」を使っています、と思います)。 学問の成果が「活字の本」で残される、芸術の様式が一つが「活字の本」であった時代が長いわけですから、素質の開花や発展のためには活字の本は読まねばなりませんね。とくに学生さんは。よくわかりました。 しかし、学問や芸術が、人の素質を全人的に開花させるとは、すさまじい思想だと思いました。 学びたい(学問)作りたい(芸術)のは、そうした衝動が人類には内蔵されているのだろう、くらいに思っていましたよ。 (3)の考え方に賛成したいか否かはさておき、 旅先で、その土地の文化が生み出した傑作に触れることでも、「素質が精神的・全人的に開化・発展」する、と考える人もいて当然なのですね。 ひとつ賢くなりました。 では!