暗い照明は現代日本人にはなじめないような 横から失礼します。 > 部屋全体がなんとなく暗いこと 向こうの人は日本家屋が明るすぎるとか、蛍光灯の灯りはお嫌いのようですね。 照明の明るさに関しては、瞳の色に関係すると言われていますが、野球選手が目の下の頬骨を黒く塗って反射を防いでいるのも、頬骨が出ているという骨格だけが理由ではないのだと思っております。 やっぱりアメリカ(に限らず、他の国のホテルなどでも)の照明は暗いなあと思いつつも、薄暗いレストランの座席で文庫本を読みながら、先に注文しておいたコーヒーをすすりながら料理を待つ。 やがて運ばれてきたサラダに少しと注文をつけてもドレッシングをたっぷりかけられてしまう。 そんな家族経営のレストランもかなり以前に家主のモーテルともどもなくなってしまいました。 ところで、猫の名前。 んー、RでもLでも、正しく呼ばれても手もとにやってくるんでしょうかね。 近所の猫とは、いつも遊んでいます。(勝手に自分が「もて遊んでる」だけなので、向こうはいい迷惑。笑) 目を合わせただけで隠れるやつ、近寄ってもおどかさない限り動かないやつ、すり寄ってくるやつ、等々。 だいたい、向こうは、自分に何をしてくれるやつ(人間)だか値踏みをしていますから、手ぶらで呼んでも「食事係」には用事がないのではないかと思いますね。 そこいらへんを自由に行動している猫には数軒の世話係の家があって行ったり来たりしているようですが、それぞれの家では自分がもっぱら可愛がっているという意識があるのか、食べ過ぎの猫が多いです。全然野性味もなく、人間を警戒しない。 そこで、野生を取り戻してシェイプアップできるように、遊んであげております。 猫の名前は、たぶん光沢があって「Luster」なのでしょうかね。 ブラウン管が好きな「Raster」でも、ビーフ・ジャーキーの「Ruster('s)」でもないのでしょう。(後者は英辞郎で調べました。)
薄暗いのはビンボーくさい・・・というお年寄り達 Ice-Cubeさん もうずいぶん数が減ってきましたがつい最近までのお年よりは良くこう言ったもんです。 日本の電力システムは終戦後もかなりあとまで家庭の電気代はかなり広範囲にいわゆる定額システムでした。メーターによって電気代を払っていたのはつまりエエトコのお家ばかりでした。 定額の場合は1軒での灯火数が限定されており、茶の間や客間など用に40-60Wが2-3箇所、トイレやお風呂場などは豆電球程度のX燭という電球・・つまり明るい所でもウス暗い、といっても周囲の夜が暗いからそれでも結構明るかったのですが、だんだんメーターで電気代を払う家庭が増えてくるとこちらは気張って100Wでキラキラ・・・。 つまりウス暗いのは貧乏くさい・・・という一億総セイ伸び時代の後遺症なんだとおもうのですが。 ヨーロッパではもともと重厚な冬に備えた石壁の中の大きくない窓の部屋で主要な明かりは暖炉の火がステータスなら部屋の明かりは間接照明に違和感はありません。 西欧模倣文化で日本でも一時間接照明の器具が大流行でしたが結局は<ウス暗いのはビンボーくさい>というビンボーくさい文化が勝ちを占めた・・という勝手な推論はいかがでしょう。
時代劇でも煌々と明るい(笑) 江戸時代、月明かりのない夜は人相などわからないくらい夜道は暗かったそうで。 当然、家の中は行燈程度では、夜なべ仕事もはかどらないでしょうから、とっとと寝ちまったに違いありません。 日本の家屋内の照明がこうも明るくなったのは、やはり戦後でしょうから、この数十年のことですね。 貧乏くさいから照明を、という方も年配の方には多いのかもしれませんが、団塊の世代以降は貧乏くさいという概念もないのではないかと思います。 高度成長以降、照明を明るくさせた一番の推進力は、たぶん暗いと目に悪いという受験勉強、教育ママの力が大きいのではないかと思いますね。 その結果、暗いと寝られないと言う子どもに灯りをつけたまま寝かせるようになり、今は省エネで子どもに消してもいいよと言わせてる。(電力会社のCM) 省エネ、節電よりも昨年、今年と猛暑で、電球の熱すら室内の暑さを増しているので、なるべく消していますが、今年は一部をLEDに替えました。 白熱灯の色に対して蛍光灯の色は冷たくていやだと言う意見もありますけど、暑さには代えられません。^^;)