初めて出国したのは半世紀前の業務出張でした。国家公務員に採用された5年後の20歳の時で、出張先はニューメキシコで2週間程の旅程でした。羽田から日本航空001便002便で太平洋を往復し、米国内線に接続です。旅券は濃緑色の公用旅券です。為替レートは1ドル300円、原油価格1バレル3ドル、サンフランシスコのケーブルカーは一回25セント、現地のガソリン価格1ガロン40セントの時代です。ハイウェイ走行中道路脇によく故障した車を見かけました、HONDAの5000ドルカーは人気で半年待ちとのことでした。この年は札幌オリンピック、浅間山荘事件、沖縄本土復帰、中国との国交回復と色々思い出されます。ジャンボ機就航3年目で日本人出国者は年間200万人まで増えてました、このあと1990年には1000万人を越えます。原油価は翌年1次オイルショックで12ドル、79年には30ドルまで高騰します。76年3回目の出張では、米国商務省発行の合衆国建国200年記念名入渡航証明書をいただきました、ここ20年米国はご無沙汰ですがコロナ明け考えてみたいと思います。