わかっていても、現地の人に道を聞いたりするのも、旅の楽しみです。 地図を持っていて、だいたいの方向も、自分が通っている通りの名前がわかっていても、 愛想のよさそうな、地元の人に声をかけて、道を確認するのも、僕はよくやります。 こういう気持ちでいると、見かけた旅行者に、気軽に声をかけることができます。 日本人旅行者を見たら、「おーい日本人!こっちこっち」と呼びかけて、 「何か面白い話ない?」と聞きます。 話が合いそうだったら、一緒にビールを飲まないかと誘う、 女性だったら、夕食を食べます。 こういう態度でいれば、旅仲間なんて、不要です。 というか、現地で話相手はいくらでもできますよ。 試してみてください。 そうそう、コンシェルジュに店を聞いたら、ホテルに戻ったときに、 コンシェルジュにありがとうと声をかけるのも、いいですね。 そんなもんです。 みどりのくつした
同感、よくやりました! 例えばマドリッドへよくひとりで闘牛やサッカーの試合を見に行っていた頃、下手なスペイン語を話してみたかったのでよくやりました。 闘牛場で知ってることを隣の人に質問してみる。マドリッドは親切な人が多いのでちゃんと(知ってることだけれど)説明してくれるし、闘牛士の写真をくれたり、よく食べ物をおすそ分けになりました。軽食からワイン、デザートまでフルコース分けてもらったこともあります。あっちの人が一人で闘牛に来て怖くないか聞いてくれって言ってるよ、とか伝言もきます。 サッカー場でも隣の人に「クリスチアーノ(・ロナウド)は今季何ゴール入れたっけ?」って知っているけど聞いてみたりすると、隣の人でなく、周りの人がXXゴールだ、いやいやOOゴールだと加わってきます。 旅先でこういうのが楽しいですね。 ちなみにこのトビ主さんは観光客としてお土産用に持って帰れそうな気の利いた商品を扱っているスーパーや店舗があるか知りたいので投稿したようです。 地元の人はこのへんがちょっとわからないかもしれないので、どのように聞くかです。
僕は「旅しているように生活する」ことが理想だった時代がありました。 自分を旅人と定義すると、どんなことでもできます。 大学時代にユースホステルに泊まって、日本中を旅していた時代。 ユースホステルには、特有の文化があったんです。 出会えばすぐに仲良くなる。 僕は旅先では、誰にでも気軽に声をかける人間でしたが、 京都へ戻って、市電に乗っていて、気になる女性がいても声をかけられませんでした。 その時に、旅行と普段の生活の違いについて、考えたことがあります。 旅行者同士では、気軽に声を掛け合えるのに、なぜ普段の生活では気軽な会話ができないのだろうかってね。 その答えは、それ以上考えませんでしたが。 海外旅行では、何を言っても、どんな行動をしても、それはそれとして成立します。 ある日には、上品に気取っている自分であったりするし、別の日には、ちょっと下品な口の悪い自分になったりします。 海外個人旅行では、自分をどう変化させても許せるので、自分を見つめて考えることができます。 これが、旅行哲学です。 みどりのくつした
最初から、お土産を買わなければいいんです。 >>ちなみにこのトビ主さんは観光客としてお土産用に持って帰れそうな気の利いた商品を扱っているスーパーや店舗があるか知りたいので投稿したようです。 >>地元の人はこのへんがちょっとわからないかもしれないので、どのように聞くかです。 正直、海外旅行のお土産なんて、いまの時代は、迷惑そのものでしょう。 僕が某企業に勤めていたころも、 上司が出張で海外に行けば、必ずお土産を買ってきたものでした。 で、それを配って歩くわけですが。 迷惑でしたね。 OLさんが海外旅行に出ても、お土産を買ってくる。 でもこれは、20年から30年も前の話です。 いまの時代、お土産を買う文化は廃止した方がいいでしょう。 最初から、お土産を買わなければいいだけの話です。 みどりのくつした