Re: 壁の時代に行かれたのは羨ましすぎます。 羨ましいですか? 壁の前で理不尽に流された血と涙を思えば、素晴らしいなどという形容詞は野次馬根性丸出しですね。
旅、海外旅行って好奇心の強い方の一種の野次馬的行為ですよ。いい意味で。 2つに分かれていた時代にまだ、海外旅行にでられなかった方々が旧東ドイツも体験したかったというのは、決して野次馬などではなく、自然な感情かと存じます。 私だって、ドイツ一、欧州でも有数の美しい街だった戦前のドレスデンを一目見たかったくらいですから。当時はもっと多くの血が流れた時代ですよ。 ドイツ好きの方なら誰でも壁の向こうのDDRに行って西との違いを見たかったでしょう。 それを野次馬呼ばわりはないでしょう。 そんなことをいうなら、あなたの海外旅行も所詮、野次馬ですよ。私のもそうですが(笑)。
野次馬にも礼儀がある もちろん私も野次馬ですよ。 しかし、例えば外国で目の前を行く死者を送る葬列に向かって野次馬の観光客が「やあこれは珍しい、素晴らしく面白い風景だ」と大きな声を上げながら写真をバシャバシャとる行為、これは上品ですか? 或いは今回に即して言えば、壁を見に行ってそこを通りかかった年配のドイツ人に「昔あなたはどちら側にお住まいでしたか?東側!いいですね!私も当時のドイツを経験したかった。」と言うのは平気ですか? もし全々構わないと仰るのでしたらこれ以上申し上げる事はありません。
Re: 旅、海外旅行って好奇心の強い方の一種の野次馬的行為ですよ。いい意味で。 私もN.N.さんとまったく同じ違和感を感じました。 そりゃ、誰でも、知り得なかったもの、体験できなかったもの、そういう世界に対して、いささかの好奇心があるのは一面当然かもしれません。 しかし、それをこうしたところで、のっけに平気で書く、ということはまた別のことです。 好奇心自体は健全なことであっても、いかなる好奇心であろうといつでもどこでも平気で剥き出しにするものでないというのはあまりに当然のことではないでしょうか。 例えば、今、朝鮮半島は南北に別れていますよね。 将来例えば南北統一されたとき、例えば韓国のひと、北の軍事活動によって命を失った家族のいるかもしれないひとの面前で、あるいは、圧政によって飢餓や言論の不自由を耐えたひとたちの面前で、「昔の北朝鮮に行ってみたかった」なんて平気で言えるものでしょうか。 面前で言えないようなことは、陰でも言うべきではありませんよね。 ここはドイツから遠く隔たってはいますけれど、また、時代も遠く隔たりつつありますけれど、歴史的事実に対して謙虚な気持ちを持っていれば、そのような好奇心は、持ったとしても胸のうちにおさめておくべきもの、軽々しく書くべきことではないでしょう。 私の知人は、ドイツ分断の冷戦時代、大学関係のグループで訪問し、何がどうだったのか、東ベルリンで当局に「別室」につれて行かれた経験を持っていました。 そのときは、生きて日本に帰ることはできないかもしれない、と一同覚悟した、と言います。 彼女が、無限ポンダさんの発言を、軽い気持ちで聞き流せるとは思えませんね。
見たぞ、見たぞ・・とを自慢したいのも野次馬根性ですね。 なるほどなるほど>あなたの海外旅行も所詮、野次馬ですよ。私のも・・・。 ・・で、ときには他人に聞いた話もいつか自分の体験とばかり、実にナリ花に成る、これ野次馬のサガ。 ナットクナットク・・・。