Re: wikiの説明わかりやすいと思いますよ

フランク王国に囚われてしまって、

そこで思考が固まっていたようです。

バイロイトは現チェコとの国境に近く

辺境伯領地としては然もありなんと思ふ。

でもバイロイトの歌劇場は中世以降に出来たのでは?

山川の薄い本にはお世話になっていて、

様々の事柄の物が出されていて興味深い。

関連説明を有難く参考になりました。

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    11/03/26 22:05

    補講

    ポイントまでいただいて、こういうことを言うのは心苦しいのですが、違うように思われます。

    >バイロイトは現チェコとの国境に近く辺境伯領地としては然もありなんと思ふ。
    当概辺境伯領の成立経緯は、wikiでも読んで下さい。
    まず、基本の基本ですが、こうした神聖ローマ帝国における辺境とは誰と相対するものかといえば、ポーランドやマジャールが主です。現チェコのボヘミアは神聖ローマ帝国内の有力王国であり、皇帝を輩出し帝都として繁栄してもいます。辺境伯を配して抑えるべきもっぱらの相手ではないでしょう。(全くゼロであるとも断じませんが)

    >でもバイロイトの歌劇場は中世以降に出来たのでは?
    18世紀半ばですね。
    当時の辺境伯は、フリードリッヒ3世。この人のほぼタおメの隣人が、プロイセン王フリードリッヒ2世で、2世の姉が3世の妻。2人とも、いわゆる啓蒙専制君主として、一方では国際外交ときに戦争を展開しつつ、国内では特に芸術にまで理解を示しています。その産物の一つが、あなたのいう歌劇場です。
    この頃には、辺境伯としての価値はなく、三十年戦争終結後には神聖ローマ帝国の実質的崩壊の中で、有力諸侯が専制君主として新興王国を拡張し、フリードリッヒ3世のような中小諸侯は生き残りを掛けて方策を尽くす時代ですね。

    まぁ、地球の裏のちっぽけな諸侯の歴史なんて知らなくても困りませんが(ドイツ人のオッサンが、おもむろに伊達と最上の確執を語られたら焦るし)、ゆっくりwikiを読めば、だいたい分かると思いますよ。

    私も、wikiと若干の書籍で書いておりますので、誤りがありましたら、ご容赦下さい。



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    補足(揚足取)

    >でもバイロイトの歌劇場は中世以降に出来たのでは?
    >>18世紀半ばですね。

    Bayreuther Festspielhausのことであれば竣工は1876年なので、19世紀後半では?